週刊『前進』06頁(2533号1面3)(2012/04/23)
“大飯原発再稼働させぬ”
中嶌哲演さんら経産省前でハンスト開始
4月17日、経産省前テントで大飯原発3、4号機の再稼働を阻止するための集団ハンガーストライキが始まった。国内で唯一稼働中の泊原発3号機がストップする5月5日まで続ける。 17日正午、各地から参加した人びとが「再稼働反対/ハンス・・・
2012年4月23日発行 第2533号
“大飯原発再稼働させぬ”
中嶌哲演さんら経産省前でハンスト開始
4月17日、経産省前テントで大飯原発3、4号機の再稼働を阻止するための集団ハンガーストライキが始まった。国内で唯一稼働中の泊原発3号機がストップする5月5日まで続ける。 17日正午、各地から参加した人びとが「再稼働反対/ハンス・・・
4月17日、経産省前テントで大飯原発3、4号機の再稼働を阻止するための集団ハンガーストライキが始まった。国内で唯一稼働中の泊原発3号機がストップする5月5日まで続ける。
17日正午、各地から参加した人びとが「再稼働反対/ハンスト決行中」と記したそろいの鉢巻きと法被を身につけ、記者会見を行った。
3月25日から31日まで福井県庁ロビーで断食した福井県小浜市の明通寺住職の中嶌哲演さんも駆けつけて発言。「大飯原発3、4号機が再稼働されれば、各地の原発がなし崩しに再稼働されていく。近未来に国内の原発が全面停止するのは第2の福島が続発する時だ。かつての軍国主義政権はオキナワ、ヒロシマ、ナガサキ、大空襲という過酷な犠牲の後に初めて敗戦を決断した。『原子力村』の一角を担う現政権は福島だけではまだ懲りないのか。再稼働を認めることはできない。ヒロシマ原爆120万発分の死の灰、48万人の被曝労働者、福島の36万人もの子どもたちの犠牲を生み出してしまった54基の原発。子どもの日に福島と世界の子どもたちに原発ゼロをプレゼントするため、頑張りましょう」と呼びかけた。(写真)
「原発いらない福島の女たち」の黒田節子さんも訴えた。「中嶌哲演さんの闘いにつながろうと、3月31日からリレーハンストを始めました。すでに100人以上でリレーしています。脱原発社会を夢見ながら、今まで会えなかった人ともつながって、楽しみながらハンストをしています。脱原発社会に本当に近づくために再稼働を阻みましょう。福島で今も被曝している子どもたちを助けてください」
記者会見後は、福島をはじめ全国各地から参加した人たちが次々とマイクを握り「再稼働を絶対に阻もう」という熱いリレーアピールが続いた。
再稼働を阻み、全原発の廃炉へ進むことができるのかどうか正念場だ。全国各地で、職場で、闘いをさらに広げよう!
“人生かけ原発ゼロに”
全学連新歓 肥田舜太郎さんが講演
(写真 肥田さんの話に聴き入る【4月15日 都内】) 「一番、頭に来ることは放射能は微量なら害を及ぼさないといううそだ」。肥田舜太郎さんの言葉が参加者の心にズシリと突き刺さりました。 4月15日、「原発をなく・・・
(写真 肥田さんの話に聴き入る【4月15日 都内】)
「一番、頭に来ることは放射能は微量なら害を及ぼさないといううそだ」。肥田舜太郎さんの言葉が参加者の心にズシリと突き刺さりました。
4月15日、「原発をなくして社会を変えよう」と題し全学連が都内で新入生歓迎講演会を行いました。講師は広島原爆の被爆者であり、内部被曝を長年研究している医師の肥田さん。すべてを吸収しようと皆が必死でメモをし聴き入りました。
肥田さんは「今の東電と政府は、とがめられることはないと確信をもって殺人をやっている」と喝破。政府と東電の責任を絶対にあいまいにしてはいけないということ。
内部被曝研究と被爆者治療はGHQ(連合国軍総司令部)・日本政府との壮絶な闘いの中で行われました。GHQに逮捕された経験を持つ肥田さんの「米政府や警察に捕まろうが監視されようが、自分の信念が間違っていると思ったことは一度もない」という言葉は、ビラまきひとつで妨害や監視を受ける法大生の心に染み渡りました。
強調されたのは、内部被曝はなかったと政府が国民にうそをつき通した状況が今も同じ点。ABCC(原爆傷害調査委員会)と医師会、広大病院が一体となった治療と研究への弾圧は今日の原子力ムラの構造と同じです。大学と学問を問い、御用学者追放や不当処分撤回の運動を進めることが原発をなくす力になると確信しました。
「ほうっておけば福島の人びとが何の保障も受けずに死んでいく。皆が闘わなくちゃいけない」「原発反対の立場で行動することこそ生きている者の責任」「残りの人生を原発ゼロにすることにかけろ」という強烈なメッセージも。締めくくりは「皆さんが社会の柱になってほしい」でした。
「弾圧に負けない原動力とは?」「がれき処理はどうすべきか?」など新入生の質問に、政府と東電への怒りと責任追及が重要だとの答え。最後に斎藤郁真委員長が「再稼働を阻止し、核と原発をなくすために学生が先頭で社会を変えよう」と提起。新入生とともにキャンパスから闘いを前進させる思いがあふれました。
(法大・倉岡雅美)
“大飯原発再稼働させるな”
広島 ハンスト出発式 福島の女たちに連帯し 4月11日午後5時から原爆ドーム前で、「原発再稼働を止める!」と、広島の女たちのリレーハンスト出発式が行われた。(写真上) 3月31日から始まった福島の女・・・

4月11日午後5時から原爆ドーム前で、「原発再稼働を止める!」と、広島の女たちのリレーハンスト出発式が行われた。(写真上)
3月31日から始まった福島の女たちのハンストに連帯し、「福島の女たちに連帯するヒロシマの女たち」は、4月8日からそれぞれの職場や日常生活の場で1人24時間の断食リレーをしている。
出発式では、当日ハンスト中の婦人民主クラブ全国協広島支部の今川美恵子さんがヒロシマ女たちのハンスト宣言を読み上げ、反戦被爆者の会の下田礼子さんを始め、13人の女性たちが次々と「命より金もうけ」の野田政権の原発再稼働を弾劾して、ハンストに入る決意をアピールした。
そして、大飯原発、伊方原発の再稼働を絶対に阻止して、泊原発が停止する5月5日まで継続することを確認した。
道行く人や観光客はビラを受け取り、カメラを向けるなど注目度はバツグン。マスコミも「稼働原発ゼロへリレーハンスト」と報じた。
(広島 N・S)
東京では4月14日、NAZEN吉祥寺(準)の呼びかけで「反原発★反失業吉祥寺デモ」第4弾が意気高く打ち抜かれた(写真下) 。
野田政権はこの日、枝野経産相を福井県に送り、「地元の理解を得る」などとほざいた。ふざけるな! 原発再稼働への怒りは沸騰寸前だ。小雨の中、武蔵野公会堂前を出発したデモには、沿道から青年労働者が合流し、120人にまでふくれあがった。
福島から椎名千恵子さんも参加し、前夜作った「怒」の印の手っ甲をつけてデモの先頭に。デモは、この日のために練習を重ねた、かんしょ踊りでスタートし吉祥寺の街を練り歩いた。福島との団結を込めた〈民衆の抵抗の踊り〉に沿道が大注目。店から人が飛び出してきて歓声が上がった。
大通りに入り「大飯原発再稼働反対!」「枝野は福井に行くな!」「ミサイル迎撃絶対反対!
原発こそがよっぽど脅威だ!」「どさくさに紛れて再稼働するな!」のコールに、沿道から声援と多数の人が合流。
北朝鮮をめぐる緊張が増す中、機動隊や大量の私服警官が動員され、かつてない弾圧態勢だ。それをものともしない青年労働者・学生の熱気が燃え上がる。テンションが最高潮のまま解散地・井の頭公園へ。
交流会には初参加の青年が多数参加し、在日の青年が「新自由主義と対決するデモをもっとやろう」とアピール。デッチあげ不当逮捕されたちば合同労組の仲間への激励とカンパが寄せられた。
(東京・N)
2012年4月16日発行 第2532号
“大飯原発再稼働させない”
4・11日比谷 福井と結び700人緊急行動
大飯原発の再稼働絶対阻止! 全原発を廃炉に! 地元福井での闘いと結合した怒りのデモが本降りの雨を吹き飛ばして国会を包囲した。関西電力東京支社と東京電力本店を直撃し「再稼働をやめろ!」「福島を返せ!」と迫り、野田政権を徹底的に追い詰めた。 ・・・
“反核燃”青森で全国集会
4・7 NAZEN青森を結成
4・8 六ケ所村で村内デモに決起
(写真 再処理工場前での全体集会で怒りを込めたシュプレヒコール【4月8日 六ケ所村】) (写真 原発と核施設が集中する青森県でNAZEN青森が結成された【4月7日 青森市】) 2012年「4・9反核燃の日」・・・
(写真 再処理工場前での全体集会で怒りを込めたシュプレヒコール【4月8日 六ケ所村】)

(写真 原発と核施設が集中する青森県でNAZEN青森が結成された【4月7日 青森市】)
2012年「4・9反核燃の日」闘争は、原発再稼働に突き進む野田政権と真っ向から対決し、4月7日、青森市内での全国集会に1146人を結集して闘われた(1面に写真)。3・11福島県民大集会を引き継ぐ「原発なくそう! 核燃なくそう!」の意志が示され、NAZEN隊列は吹雪をつく元気いっぱいのデモを牽引(けんいん)した。全国集会後、NAZEN青森の結成集会が開かれ、翌8日には六ケ所村の現地デモと再処理工場前での抗議集会も行われた。
7日午後5時からNAZEN青森結成集会が開かれ、65人が参加して大成功した。司会を南部バス労組書記長がつとめ、開会のあいさつを南部バス労組委員長の間山正茂さんが行った。
集会は、ふたつの提起を柱に進められた。初めに、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの椎名千恵子さんが、「ひるまず、豊かに99%の怒濤(どとう)を」と題してアピール。福島では復興予算でさまざまなプロジェクトがつくられ、「除染」「身体検査」「給食安全検査」などに数千万から数百億円の予算がつき、「国も県もいろいろやっているじゃないか」というキャンペーンになっている。そして、いわき市で”双葉いじめ”がはやり、コンビニが混んでも双葉のせいだと話されているような現実に、ひるんでしまいそうになるという思いが率直に語られた。
それは椎名さんら「福島の女たち」の闘いの力の大きさを示すものでもあった。3・11福島県民大集会が復興翼賛色で染め上げられることを打ち破ったことの大きさだ。あらためて「『原発いらない!』のスローガンを集会名称に入れることができて良かった」の言葉を会場全体でかみしめた。椎名さんは最後に「ひるみませんよ。がんばりましょう」とまとめた。心から”前に進もう!”という椎名さんの決意が伝わってきた。
続いて、青森現地からの発言として「青森反核燃闘争のこれまで」を八戸北伝道所牧師であり写真家の岩田雅一さんが提起し、「これから」と題する方針提起を、百万人署名運動・青森県連絡会代表の中道雅史さんが行った。岩田牧師は、戦前から続く国の本質が六ケ所、フクシマをもたらしていることを弾劾し、中国残留孤児の方の「この国は子どもたちに謝りましたか」という言葉を紹介。自分たちがこの国家と闘争してきたがゆえの「少数者」であり、その意義を受け止め、先人に学んで、自分も闘っていくと結んだ。
中道さんは、何よりも日本の核武装を阻止する闘いとして六ケ所の核燃反対闘争を闘ってきたことを確認し、核燃サイクル粉砕の闘いと一体で大間原発建設を止めることが核武装を止める道だと喝破。NAZEN青森の闘いの方向性を力強く提起した。
全国のNAZENの仲間が発言した。事務局次長の富田翔子さんは、青森の風景を「すごい美しさと厳しさ」と表現。東京で青年が”見えなくさせられている”現実や、仲間が見えなくなったとき死に向かってしまう現実を語り、「自分の怒りを解放し、生きる団結をつくることが問われている」と訴えた。そしてNAZENが若者を引きつけているのは「絶対反対! ぶれない! 貫く! そして元気に! ひるまない!」ことだと提起、さらに闘いを前進させるために頑張るとの決意を表明した。
百万人署名運動・福島の長沢宏さん、宮城連帯ユニオンの青年、国労秋田闘争団の小玉忠憲さん、ス労自主の入江史郎委員長、8・6広島—8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会事務局長の三角忠さんが闘いの決意を表明。連帯あいさつでは、反核燃闘争を闘い続けてきた地元の3人の人士からアピールが行われた。
青森の青年はカンパアピールで、知り合いの青年から初めて賛同金をもらえた闘いの前進を誇り高く紹介した。閉会あいさつでは青森市の”闘うお母さん”が、これからもできることをしっかりやっていくと宣言した。
NAZEN青森を結成した翌日の8日、NAZENの仲間は決意も新たに六ケ所現地に出発した。マイクロバスを満杯に総勢40人で現地に向かった。午前10時から六ケ所再処理工場門前で抗議集会。10時半から全体集会に合流し、「再処理とめろ!」と怒りのシュプレヒコールを何度も何度も工場に向かってたたきつけた。
門前闘争の高揚をそのままに、NAZENの隊列は六ケ所村内デモに打って出た。デモ参加者それぞれが六ケ所村でデモに出ることの激しさ、緊張感、決意をかみしめながら、声を張り上げてデモを行った。家の中から手を振るお婆さん。一方で、車の窓からつばを吐き捨てる青年。反応は真っ二つだ。
今年に入って、六ケ所村及び下北半島では、核燃サイクル政策が揺らぐ中、県や村、関連企業が激しい勢いで核燃サイクルを維持せよと国に迫り、3・11以降止まっていた各施設の工事が再開されている。一方で3・11には県内でも1800人の反原発・反核燃集会が開催された。いまなお激しいせめぎ合いの渦中にあるのだ。
この局面でNAZENは、「六ケ所漁民、農民、労働者とともに生き死にをともにするぞ!」「フクシマとともにすべての核をなくし生きよう!」とデモを敢行した。かけがえのない歴史的出発点をNAZENとして切り開いた。
六ケ所から車で30分。東北電力東通原発への申し入れ行動に向かった。門は閉ざされ、警備会社職員が対応。東北電力の職員がいないので代行して受け取ると言う。しかし「あなたは警備会社でしょ。電力会社が受け取るべき」「事前の電話では当直がいると言った」との追及に押され、東北電力の職員が原発建屋から門まで出て来て、織田陽介NAZEN事務局長から申入書を受け取った。「再稼働を絶対許さないぞ!」とシュプレヒコールを上げ、ゲート前で総括会。NAZENはすべてを引き受けて飛躍し闘うことを確認し、2日間の闘いを終えた。
2012年「4・9反核燃の日」闘争とNAZEN青森結成の地平は決定的だ。フクシマと結びついて闘うNAZENが青森の地で4・9闘争と一体で立ち上がった。反核燃の市民運動を担ってきた仲間も、労働組合、職場で格闘する仲間も総決起して闘いを組織した。一人の青年、一人の学生をこの闘いで獲得しようとの目標を立てて闘った。6日にNAZEN事務局長、事務局次長が弘前大学にもかけつけ、そこで出会った青年が2日間の全行程をともにした。大勝利だ! 野田政権の再稼働を絶対に許さず闘いを前進させよう。
(青森・S)
2012年4月 9日発行 第2531号
3・31〜経済産業省前
女たちがリレーハンスト
野田政権による大飯原発3・4号機再稼働の動きに福島の女性たちの激しい怒りの炎が噴き上がった。「原発いらない福島の女たち」が全国に呼びかけた再稼働阻止のリレーハンストが3月31日から始まった。不退転の決起である。 2日目の4月1・・・
野田政権による大飯原発3・4号機再稼働の動きに福島の女性たちの激しい怒りの炎が噴き上がった。「原発いらない福島の女たち」が全国に呼びかけた再稼働阻止のリレーハンストが3月31日から始まった。不退転の決起である。
2日目の4月1日、呼びかけた黒田節子さん、椎名千恵子さんを始め10人を超える女性たちが経産省前でのハンストに立ち、40人近くの労働者民衆がそれを包んだ。再稼働を絶対許さない怒りがみなぎっている。
午後1時から記者会見を行った(写真、マイクを握るのは黒田さん)。 最初に黒田さんが発言に立ち、「福島の現状は何ひとつ変わってないだけでなく、除染するから大丈夫という流れが強まっている。日々被曝している子どもたちの現状を世界に訴えるため、やれることはすべてやる勢いで毎日やっている」と決意を表明した。黒田さんは続けてリレーハンスト声明を読み上げ、大飯原発の再稼働に反対して福井県小浜市明通寺の住職・中嶌哲演さんが福井県庁で断食に立ち上がったことを聞き、リレーハンストに踏み切ったことを明らかにし、「泊原発が停止する5月5日までリレーハンストをやる。再稼働を絶対に許しません」と訴えた。
椎名さんがマイクを握り、「福島では、皆さんが予期しない事実がたくさん起きています。浪江町赤宇木の避難所にいた住民のうち3人が亡くなっています。同じ浪江町で、立ち入り禁止区域の自宅に許可を得て戻った50代の女性がトイレで倒れ、亡くなったそうです」と福島の現状を怒りを込めて報告した。続いて、連帯してハンストに立ち上がった女性たちが一人ひとり思いと決意を語った。記者たちからいくつもの質問があった。
記者会見後、皆で会津磐梯山古式踊り「かんしょ踊り」を輪になって踊り、笑顔も出るなか闘いの機運は一層高まった。
福島と全国の闘いで野田政権を追い詰め、再稼働を絶対に阻止しよう。
“ハンストで再稼働阻む”
(写真 経産省前で「かんしょ踊り」【4月1日】) 原発再稼働を阻むために3月31日からのリレーハンストを呼びかけた「原発いらない福島の女たち」呼びかけ人の黒田節子さん、椎名千恵子さんにお話を伺った。連帯してともに・・・
(写真 経産省前で「かんしょ踊り」【4月1日】)
原発再稼働を阻むために3月31日からのリレーハンストを呼びかけた「原発いらない福島の女たち」呼びかけ人の黒田節子さん、椎名千恵子さんにお話を伺った。連帯してともに闘いぬこう!(編集局)

4月1日、川内村では正式に役場機能が再開されます。郡山市は川内村から避難している人も多いので、避難している若いお母さんたちともよく話します。村に戻っても仕事はないし、大きな病院は閉鎖されお店も開いてない。みんな、本音では帰りたくないんです。
だけど行政の方針に従わないと”残る人は勝手にしろ”と何のサービスも受けられなくなる。しかも仮設住宅暮らしだと「あなたたちはいずれ帰るんでしょ」と正規雇用の仕事にもつけない。小さい子どもを抱えた若い人は、特に厳しい状況に置かれています。
郡山市や福島市は子どもたちはすぐ逃げ出して欲しいほど高線量。子どもたちが日々被曝しています。国やマスコミが「除染すれば大丈夫」と大宣伝しているからです。本当に犯罪的です。殺人行為です。この現実の中で運動しているわけですから、正直、焦っています。
にもかかわらず、一体どうして再稼働を考えるのか。はらわたが煮えくりかえります。再稼働は絶対に許しません。
私たちは昨年4月、ほんの10人くらいで集まるところから動き始めました。それが3月11日には「原発いらない!」を掲げて1万6千人の集会が実現できた。大きな力になってきていると感じています。だけどまだ1けた足りない。もっと大きなうねりをつくりたい。
リレーハンストを全国に発信したら、数え切れないほどの人が名乗りを上げてくださいました。
福島の問題は福島だけでは解決しません。放射能は県境も国境も越えます。自分たちの子どもや孫のこととして、一緒にやっていきましょう。
リレーハンストは、泊原発がとまって全原発がストップする5月5日まで続けます。廃炉に向けて頑張りましょう。

経産省前で「未来を孕(はら)む女たちのとつきとおかのテントひろば」を12月1日に始めて、今日でちょうど4カ月がたちました。
このテントがいろんな人たちとのつながりの核になり、「原発いらない福島の女たち」も各所で行動してきた中で、今回のハンストの呼びかけにいたりました。
再稼働を許すかどうかということは、再びの「福島」を許すのかどうか、という問題です。過去を知り、歴史を学んでこそ、未来は展望できると思います。福島を絶対に繰り返させないためには、再稼働を止めなければならない。
このテントから経産省をにらみつけ、再稼働を絶対に阻みたい。5月5日を廃炉記念日とできるように、みなさんとつながっていきたい。テントにもいらしてください。
2012年3月26日発行 第2529号
3・11福島の怒りを原発再稼働阻止へ (2)
四国電力伊方原発 愛媛県職労の闘い先頭に再稼働阻止の運動広がる
(写真 全原発を廃炉に追い込む熱意で全国から集まった人びとが開成山野球場の1塁側、3塁側、バックネット裏の内野全席を埋めた【3月11日 郡山】) 危機に駆られた野田政権の原発推進政策との対決は、この3〜4月に・・・
(写真 全原発を廃炉に追い込む熱意で全国から集まった人びとが開成山野球場の1塁側、3塁側、バックネット裏の内野全席を埋めた【3月11日 郡山】)

危機に駆られた野田政権の原発推進政策との対決は、この3〜4月にいよいよ正念場を迎えている。連載(2)では伊方原発再稼働阻止、六ケ所核燃再処理工場閉鎖へ向けた地元からの二つのアピールをまとめて掲載します。
3・11「原発いらない!福島県民大集会」は1万6000人の大結集で「原発廃絶・再稼働阻止」の宣言を発した。愛媛からも愛媛県職員労働組合の組合員や郵政労働者が郡山現地にかけつけた。この決起と一体で、伊方原発再稼働の攻撃と対決する愛媛現地でも、朝の伊方原発ゲート前集会(写真下)・デモ、松山での300人のデモを始め県内各地で行動が闘われた。3・11の大高揚を切り開いた階級的労働運動の力を発展させ、大飯原発とともに再稼働の突破口と位置づけられている伊方原発再稼働を絶対に阻止しよう。
1月13日に伊方原発2号機が定期検査で停止し、四国の原発は全部停止した。これは労働者階級の闘いが強制しかちとった勝利だ。そしてそのことで「原発がないと電力が足りなくなる」というのがウソであることが事実として暴かれた。地元紙の世論調査でも「再稼働に否定的な回答が6割を超えた」(3・10付愛媛新聞)。
こうした状況の中で、野田政権と愛媛県、四国電力資本らの再稼働に向けた巻き返しの動きが激しく開始された。2月16日には、伊方原発から30㌔圏内を対象とする「愛媛県原子力防災広域避難訓練」が愛媛県の主催で強行された。この訓練の実施要項では、その「目的」に、「福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、伊方原子力発電所でも同様の事故が発生した場合に備え……」と記されている。伊方発電所の「3基の原子炉とも全交流電源を喪失する事態」を平然と想定していること自体が、断じて許しがたい。たとえ「第二のフクシマ」を引き起こすことになっても、再稼働すると宣言しているのだ。
訓練には最新鋭ヘリ護衛艦「いせ」(事実上の本格ヘリ空母)や輸送艦「ゆら」など陸海空自衛隊と21の自治体、警察、消防、病院、学校、通信、公共交通など60機関、約1万人が動員された。それはまさしく「核戦争」を想定した「大規模有事訓練」そのものだ。30㌔圏内の小中学校では屋内退避、安定ヨウ素剤の説明なども行われた。原発再稼働のためなら、福島のように子どもたちが大量被曝する事態が繰り返されてもかまわないというブルジョアジーども! ここに腐り果てた新自由主義の極致がある。
さらに3月6日に原子力保安院から、「伊方原発2号機の運転継続の10年延長(30年を超える原子炉の運転継続)」認可が発表され、3月9日には「伊方原発3号機のストレステスト1次評価は妥当である」という四電の評価を「妥当」とする原子力保安院の審査が出され、3月中に最終結論が出される予定だ。
東日本大震災を受け国が設けた専門家の検討会の中間報告では、マグニチュード9の南海地震の想定震源域が四国のほぼ全域に拡大された。しかも伊方原発は日本最大の断層である中央構造線の真上にあるのだ。机上の空論のストレステストをもって再稼働にゴーサインを出すなど言語道断である。また伊方3号機は福島原発3号機と同じくプルサーマルであり、猛毒のプルトニウムを大量にばらまく。
伊方原発こそ「地上に設置された原爆」そのものである。再稼働など絶対に認めるわけにはいかない。
愛媛では昨年6・11に350人の「初めての道路デモ」が、12・11には300人のサウンドデモと四国電力原子力本部包囲の「ヒューマンチェーン」が市民団体の呼びかけで開催された。昨年12月には「伊方原発を止める会」が結成され「伊方原発差し止め訴訟」が500人を超える原告団を結成して提訴された。さらに今年3・11と、伊方原発建設開始以来40年の反対運動と福島原発事故への労働者人民の怒りが結びつき、ついに広範な大衆行動が始まった。
こうした動きと一体で、2・16広域避難訓練強行に対して愛媛労組交流センターとNAZENヒロシマ、岡山、徳島の共同行動として反撃がたたきつけられた。また毎月11日の反原発アクションが、労組交流センター全逓部会・自治体部会と百万人署名運動を先頭に闘い続けられている。
大阪・橋下の市長選挙応援に真っ先にかけつけた新自由主義の先兵=愛媛県知事・中村時広は、橋下のように「脱原発は理想。再稼働は現段階では白紙」などとペテンを弄(ろう)しながら、「条件を満たせば再稼働に賛成」と自己の立場を表明している。何より、「第二のフクシマ」を想定した有事訓練を行った張本人であり、「原子力に向き合っていくのが、日本の取るべき現実的な選択」と明言して、再稼働の先頭に立っている。中村は四電に原発周辺住民への戸別訪問まで要請している。「新自由主義のエネルギー源」として原発をあくまでも維持しようとしているのだ。
愛媛県職員労組はこの中村知事・愛媛県当局に対して、労働安全衛生確保という組合の当たり前の要求として「原子力災害対策業務に関する申し入れ」を行っている(以下、3月6日付機関紙「県職通信」より)。
「組合は2月24日の団体交渉時に……私たちの労働安全衛生を守るために伊方原発を廃止するよう改めて訴えた。
▽組合要求 原子力災害対策用務において安全衛生を確保することは困難であり、『職員の安全衛生を最優先』に考えれば伊方原発は廃炉にするしかない。直ちに伊方原発を停止し順次廃炉にするよう、四国電力に要請すること……。
この間当局から2度の文書回答を得ているが、交渉自体は延期され……3月末に団体交渉を行うこととなった。
県民の健康・生命、愛媛の土地と大気と健康を守るのが私たちの使命であり……組合は伊方原発の再稼働に反対し、廃炉を求めていきます」
愛媛県職労は組合の要求として「伊方原発廃止」を正面から掲げて中村知事・県当局に突きつけている。国鉄闘争全国運動呼びかけ人である愛媛県職労の宇都宮理委員長は、「原発を本気で止めようと思えば、労働者の団結を高めることが不可欠です。解雇撤回という当たり前の要求を掲げて闘う国鉄闘争全国運動に皆様の応援をお願いします」と訴えている(国鉄闘争全国運動呼びかけのリーフレットより)。愛媛県職は、動労千葉の外注化阻止の闘いと一体で、自治体職場における外注化攻撃=現業廃止攻撃に「民営化絶対反対」の原則を貫いて闘っている。労働組合が反原発の闘いの軸にすわり、職場と地域全体に団結を拡大していく時、再稼働阻止・全原発廃炉の展望は一気に開ける。そのことを示したのが3・11福島県民大集会の大高揚を切り開いた福島県教組や国労郡山工場支部、動労水戸の闘いだ。
反原発と国鉄決戦を軸に階級的労働運動の再生をめざす闘いを、自らの組合、職場で進めよう。国鉄闘争全国運動・物販オルグと一体で、労働組合が「原発廃止」を掲げるために全力で組織化に入ろう。
反原発闘争・被曝労働阻止の闘いは、新自由主義粉砕の闘いそのものであり、外注化阻止・非正規職撤廃の闘いとひとつである。それは被曝を強いられる膨大な労働者の「供給源」とされている2千万人の非正規・失業・半失業の労働者、青年労働者を獲得し、正規・非正規の分断を打ち破る闘いだ。
新自由主義の延命を断ち切る原発再稼働阻止の決戦に絶対勝利しよう!
〔革共同愛媛県委員会〕
青森六ヶ所再処理工場 日帝の核武装政策許さず破綻した核燃施設閉鎖へ
「4・9反核燃闘争」は国策との一大激突点だ 2012年4・9反核燃闘争は、3・11情勢を受けて決定的闘いとなった。われわれは、昨年8・5に広島でNAZENを結成した。その意義は「核の平和利用」による分断、電源立地交付金による分断、被曝労働・・・
2012年4・9反核燃闘争は、3・11情勢を受けて決定的闘いとなった。われわれは、昨年8・5に広島でNAZENを結成した。その意義は「核の平和利用」による分断、電源立地交付金による分断、被曝労働という分断、あらゆる分断を打ち破り階級的団結を形成する闘いだ。それは戦後日帝のあり方を根底的に批判し尽くす闘いだ。
われわれはNAZENの闘いを通して福島の怒りと結び、福島の子どもたちを守るために野田政権の再稼働を絶対阻止し、団結して必死にあらゆることをやろうという労働者的生き方を組織する闘いに突入した。3・11福島県民大集会を頂点とする闘いの地平の上に4・9反核燃闘争でこの階級的団結をさらに打ち固める闘いを前進させよう。
六ケ所再処理工場の建設は、国鉄分割・民営化とともに日帝の改憲・核武装を目指す新自由主義攻撃の柱の一つであった。三里塚闘争が日帝の全体重をかけた国策との闘いであったように、六ケ所闘争もこの国策との労働者階級人民の一大激突点である。それは、1969年「新全総」による地方の大規模開発という日帝形成の歴史とその矛盾、「中央と地方」の関係も含めたそのあり方を根本的に問い、日帝の核武装を許さない闘いとして連綿と闘われてきた。そして、日帝・原子力産業の全体重をかけた攻撃を直接受けているがゆえに現地の闘いは「少数者」の闘いになってきたが、全国の力も結集して闘い続けられてきたことで日帝の破綻点となっているのだ。
2012年4・9反核燃闘争をNAZENとして全力で闘おう。それは、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、ビキニ、フクシマ、そしてロッカショという戦後日帝の核・原発政策と労働者階級人民との激突点において、日帝の破綻点を突いて階級的団結を形成していく闘いだ。
六ケ所再処理工場は今日、日帝の核政策の破綻の象徴となっている。
再処理工場とは、原爆材料となるプルトニウムを生産する化学工場である。80年代に登場した中曽根政権は、「戦後政治の総決算」を叫び、軍事大国化への攻撃をかけてきた。究極的目的は、「核武装国家化」だった。原発を日本に導入し、米帝レーガンと1987年新日米原子力協定を締結して六ケ所再処理工場とウラン濃縮工場を核心とする核燃サイクル建設を推進したのだ。
しかし、この六ケ所再処理工場は、操業開始予定が1997年12月であったのに、トラブル続きのため2012年10月に延期され、それも延期が確定的となっている。現在工場がぶつかっている問題はガラス固化体製造工程のトラブルだ。2008年の試運転ストップに続き、満を持して本年1月再開された「事前確認試験」でまたトラブルが発生し、停止している。今度は4月下旬に再開すると言われている。
六ケ所再処理工場は、プルトニウム製造工場であると同時に、使用済み核燃料の後始末という原発稼働には不可避な問題を「解決」する役目を担ってきた。最終処分地が決まらない中で、全国原発の使用済み核燃料が再処理工場の貯蔵プールに運び込まれ、再処理を待つという形で使用済み核燃料の行き場を確保してきたのだ。しかし、容量3千㌧のプールにある燃料は約2867㌧。もう限界だ。この危機を突破しようとするのがむつ中間貯蔵施設である。最長50年間保管するというが、その後どうするのか何も決まっていない。
さらに使用済み核燃料の処分方法として直接埋設処分ではなく再処理を選択しながら、「核武装のための再処理」という狙いをごまかすために日帝が掲げてきた建前は、プルトニウムの商業利用である。だが今、高速増殖炉「もんじゅ」が動かず、3・11でプルサーマル導入の流れも厳しさを増した。建前が崩壊するのだ。
ことは軍事問題だ。建前なしに今まで通り再処理路線でいくというわけにはいかない。それは露骨な核武装の宣言に等しい。その点では、プルトニウム・ウラン混合燃料(MOX燃料)を全炉心で使う大間フルMOX原発建設は、建前維持には死活的だ。しかし、福島を先頭に巻き起こる反原発の怒りの前に進捗(しんちょく)率38%の建設を押し通せるか、日帝にとっては先が見えない状況だ。そして、必ず来ると言われる巨大地震で、再処理工場直下の断層がずれプールに亀裂が走れば、燃料が冷やせなくなり爆発して「世界が終わる」と言われている。
あらゆる面で六ケ所再処理工場、日帝の核燃サイクル政策はどんづまりの危機に陥っている。それでも日帝は、核武装のためには必死にしがみつこうともがいている。
どんなに破綻していても、労働者階級人民の力でぶっ飛ばさない限り彼らはやめない。本当の力勝負がこれから始まるのだ。4・9反核燃闘争を全力で闘おう。
4・9反核燃闘争は、日帝の破綻の頂点であるとともにあらゆる面で原発体制の要である六ケ所に全国の力を集めて闘われてきた。何よりも全国の労働組合が反原発・反核燃闘争として闘い抜いてきた。
しかし、闘いの継続と同時に画然とした飛躍が六ケ所反核燃闘争に求められている。六ケ所反核燃闘争の原点には、何よりも放射能の危険性のテーマがある。六ケ所闘争では、労働組合、労働者は徹底的に放射能と再処理工場の危険性を学ぶ学習会を重ねてきた。だからこそ、3・11福島原発事故が起こった時、福島から「一刻も早く避難すべきだ」と多くの活動家がすぐに考え、青森に通った研究者は「何で逃げないんだ!」とストレートな思いを福島の労働者にぶつけた。
ここで重要なことは、放射能の危険性を徹底的にはっきりさせること、帝国主義の安全宣伝に対して、それを全力で打ち破るというテーマだ。国家の全体重をかけた攻撃が巨大な原子力マネーを使った放射能安全キャンペーンとして県内を制圧する中で、しかし、六ケ所反核燃闘争は、それと徹底的に対決し、しぶとく何度も何度も学習会を積み重ねることをも通して闘われてきた。
それは同時に、「ではどうすればいいのか」「ともに生き抜くために何が必要なのか」を本当に、喜怒哀楽、苦楽をともにして、信頼をつくり、団結を育み、その土台の上に英知を結集して闘いとることで初めて意味をなす。「放射能の危険性」を訴えることが真の力を持つのである。
六ケ所反核燃闘争を全国の力で闘い抜くこと、そして六ケ所反核燃闘争こそが福島の子どもたちを守る闘いの苦楽を全力でともにすることだ。職場、地域、学園で徹底的に全情熱をかけて六ケ所再処理工場・核燃施設閉鎖と子どもたちを守ることを呼びかけ、福島診療所建設を実現することだ。
放射能による分断攻撃に負けない階級的団結を国鉄闘争とともに反原発・反核燃闘争の統一をもってつくり出す。その力で六ケ所闘争も勝つ。まさに地区でNAZENの闘いを切り開くこと、ここに本年六ケ所反核燃闘争の飛躍点がある。
4・7「2012年4・9反核燃の日」闘争とNAZEN青森結成集会を全力で闘い、原発再稼働と六ケ所再処理工場稼働・核燃サイクル政策を粉砕しよう。
〔革共同青森県委員会〕
2012年3月19日発行 第2528号
“原発いらない”“再稼働やめろ”
3・11福島県民大集会 労働組合の旗たなびかせ
球場埋めた1万6千人
福島の女たち先頭にデモ
(写真 福島県民を始め全国から結集した1万6千人で埋まった開成山野球場【3月11日 郡山】) (写真 「子どもたちを疎開させて!」を掲げる福島の女たちを先頭に福島県民、反対同盟と全国農民会議のデモが続く【3・・・

(写真 福島県民を始め全国から結集した1万6千人で埋まった開成山野球場【3月11日 郡山】)

(写真 「子どもたちを疎開させて!」を掲げる福島の女たちを先頭に福島県民、反対同盟と全国農民会議のデモが続く【3月11日 郡山】)

(写真 風にたなびく国鉄労働組合郡山工場支部旗)

(写真 「世界の核と原発なくせ! 再稼働とめよう! 政府・東電責任とれよ!」と若者たちの怒りを表現するNAZENのデモ隊)

(写真 2月に福島で結成された全国農民会議が「なくそう原発! とめようTPP!」と三里塚反対同盟を先頭に3・11大集会に初登場)
「原発なくせ!」「この社会を変えよう!」。福島県内を始め全国から郡山市開成山野球場に1万6千人の労働者民衆が集まった。「フクシマの思い」を新たにし、怒りを増幅させ、全国・全世界に反原発の叫びを発した。東日本大震災と福島第一原発事故1周年の3月11日、政府は全国を「慰霊」「復興」一色に染め上げようと図ったが、フクシマの根源的な怒りがそれをぶち破った。利潤追求と核武装のため、労働組合を解体して原発政策を推進する帝国主義・新自由主義を打ち倒すまでやむことのない激しい怒りが燃え上がった。(2、3、5、6面に関連記事)
「原発いらない!3・11福島県民大集会」は、主催者発表で1万6千人、実際には2万人近い労働者人民の結集となった。日本全国約百カ所で十万人が闘い、世界中で数十万人が立ち上がった3・11。この闘いの頂点が郡山集会だった。
「収束宣言」「除染」キャンペーンによるフクシマ分断・圧殺攻撃と、それをテコとした再稼働策動を根底から覆す怒りが爆発したのだ。労働者階級を先頭に、原発廃絶を求める人民の闘いが階級闘争の中心に座った。
内野席が労働者・農民・漁民・市民・学生で完全に埋まった。バックネット裏、1塁側、3塁側すべて満杯だ。さらに参加者は増え続けた。通路や階段にも参加者が座り込んだ。客席後方は立ち見する人で歩くのもままならなくなった。急遽(きゅうきょ)外野席も開放された。
多くが労働者だ。会場のいたる所に労働組合の旗・のぼりが林立した。「労働組合と市民が一つになり、福島と全国の怒りが一つになってすべての原発をなくそう!」とアピールを発した国労郡山工場支部の赤旗が翻った。福島県教組は緑色・ピンク・黄色などののぼりを掲げて大挙参加した。自治体労働者、医療労働者、そして非正規、交通、民間の労働者たちが色とりどりの組合旗やのぼりを押し立て会場に陣取った。
3階席スタンドに立つと右手に雪の安達太良連峰が遠望できる。この美しい福島の山と河が、海と大地が、膨大な放射能によって汚染された。
午後1時からオープニングコンサート。「福島に生きる/福島で生きる/福島を生きる」、福島在住の詩人・和合亮一さんの詩「決意」が朗読された。
歌手の加藤登紀子さんが原発廃絶を訴えて、チェルノブイリ原発事故の直後に被災地の大コンサートで歌われた「百万本のバラ」や「パワー・トゥー・ザ・ピープル」など数曲を熱唱した。
午後2時から集会が始まった。実行委員長の竹中柳一さん(福島県教組委員長)の開会のことばなどに続き、ノーベル賞作家の大江健三郎さんが連帯のあいさつ。大江さんは「原発をすべて廃止すれば子どもたちが、そのまた子どもたちが原発事故で放射能の害をこうむることは絶対にない」と、ほとばしる怒りで原発全廃を訴えた。一言ひとことに会場から「そうだ!」の声が発せられ、拍手が起こった。
福島県民6人が登壇し、200万福島県民の苦悩、原発と放射能、政府への尽きることのない怒り、再生の決意を語った。二本松市で有機農業を営む菅野正寿さんは「人間と原発とは共存できない」「『頑張ろう日本』でなく『変えよう日本』。今日をその転換点に」と呼びかけた。警戒区域にある富岡高校から郡山市のあさか開成高校に転校した鈴木美穂さんは「人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではないはずです」と訴えた。浪江町の橘柳子さんは「いつの時代でも国策で苦しみ悲しむのは罪のない民衆だ」と、根底からの弾劾の声を発した。
発言者一人ひとりの「フクシマの叫び」が会場に響きわたり、参加者の心を打った。「原発をなくそう!」「社会を変えよう!」が全参加者のひとつの意思となり、叫びとなった。金のためなら人の命を奪おうとも原発にしがみつく資本家ども。この支配を焼き尽くすまで、どこまでも燃えさかる火となった。
地震が発生した午後2時46分、参加者全員で黙祷(もくとう)を行った。誰もが自らの力で原発を廃絶させると誓った。
怒りの集会宣言が発せられ、郡山市内のデモ行進に出発した。
先頭に「怒福島隊」ののぼりが掲げられた。国労郡山工場支部、福島県教組をはじめ福島県内各地の労働組合・団体の数え切れないほどの旗やのぼりが続いた。動労千葉、動労水戸、共に闘う国労の会、郵政非正規ユニオンなど全国から結集した労組・団体が、途絶えることなく進んだ。
「子どもたちを疎開させて」の横断幕を広げた「原発いらない福島の女たち」のデモが圧巻。フクシマの怒りを圧殺しようとするもくろみを打ち砕き、いつも福島と全国の闘いの先頭に立ってきた女性たちだ。
萩原進さんや市東孝雄さんらが総決起した三里塚反対同盟を先頭に、鮮やかな緑色ののぼりを手にした全国農民会議の堂々たる農民の隊列。「原発なくせ!」のコールと太鼓を力強く響かせたNAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)の1500人のデモは、圧倒的な注目で、地元の少年たちも飛び入り参加! 全学連の大隊列の中心は「怒福島大」ののぼりで登場した福島大生たちだった。沿道の市民も手を振って歓迎する。
「原発いらない福島の女たち」の椎名千恵子さんがデモ出発前、NAZENの隊列の先頭に立ち「日々闘ってかちとっていかなければ『原発いらない』は続いていかない」と訴えた。デモ終了地点の郡山市役所前で行われたNAZENの総括集会では、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表世話人の佐藤幸子さんがマイクを握り、「福島から発信した声が日本中を変えます。みんながつながれば大きなことができます」と力強く呼びかけた。
3・11福島県民集会は大成功した。フクシマの怒りが根底から解き放たれた。全国の労働者・民衆がそれと一層強くつながった。国鉄労働者、教育労働者、自治体労働者を先頭とした労働組合がその中心となった。集会の運営を担い、成功を支えたのも福島県教組、自治体などの労働者だ。
「労働者が団結すれば原発を止められる」「この感動を職場に持ち帰り、闘う労働組合をつくろう」。みんながそう実感した。闘いこそ3・11の犠牲者への真の追悼だ。「3・11」は闘いの日となった。
野田は「自分が先頭に立つ」と再稼働の決意をあからさまにしている。3・24日比谷野音での反原発行動に結集し、再稼働を絶対に阻止しよう!
3・25三里塚闘争に総決起しよう。
3・11福島(郡山)を最先頭に全国と全世界で反原発の巨大なうねり
原発なくし人間らしく生きよう
(写真 「原発いらない!3・11福島県民大集会」実行委員会の中軸を担った福島県教組が、のぼり旗を林立させて意気高くデモに出発した) 3月11日、郡山市・開成山野球場に1万6千人が集まって開催された「原発いらない!・・・
(写真 「原発いらない!3・11福島県民大集会」実行委員会の中軸を担った福島県教組が、のぼり旗を林立させて意気高くデモに出発した)
3月11日、郡山市・開成山野球場に1万6千人が集まって開催された「原発いらない!3・11福島県民大集会」は感動的に大成功した。集会での主な発言を紹介します。(編集局)

「原発いらない!3・11福島県民大集会」に福島県各地から、そして全国から、私たちの思いを受け止めようと駆けつけていただいたみなさん、本当にありがとうございます。
私たちにとって、この3月11日はけっして忘れてはならない特別な日になりました。地震、そして津波により、多くの人びとが命と財産を失いました。そのことに加え、福島県民は原子力発電所の事故とその結果としての放射性物質の拡散により、不安と苦しみの中で生活しています。
私たちは多くのものを失いつつあります。豊かな恵みをもたらしてくれた水田や畑、そして自然のすべてが放射性物質により汚染されました。多くの県民が自然豊かな故郷から追われました。そして多くの子どもたちが県外に転校しました。
数々の災害や戦争などの多くの困難を克服し、現在の豊かな暮らしの基礎を築いてくれた先人の尊い努力が放射性物質によって失われようとしています。そして同時に、福島県の将来を担う子どもたちや若い世代を失おうとしています。
3月11日が再び巡ってきました。この日だからこそ、現在の私たちの苦しい状況をお互い共有しながら、今後についての思いと決意を新たにすべきだと考え、この集会を企画しました。この集会が福島と日本の新しい変革のスタートとなることを願い、開会を宣言します。

原子力発電所をどうしなければならないかということについて、私の考えを申します。
この1年間、学者たちの分析と批判を注意深く読んできました。原子力発電は完全にはコントロールされてはいなかった。特にこの活断層だらけの国で、地震への対応は学者たちの警告が生かされていなかったことを学びました。
3・11の後も原発の再稼働を考えている人たちがいます。「再稼働してもいい」と許可を出した学者たちの集まりがあります。いくつもの原発の地盤が活断層の上にかかっているという警告を無視してきた学者が、今も再稼働を決める中にいる。こういう知識を私たちみんなのものにして、率直に反対しなければならないと考えています。
大事故が起これば、今を生きる私たちのみならず、未来社会に生きる人間みなに大きく長期間の影響があることを思い知りました。
正直に言えば、私は力を落としていました。ところがドイツでは原発を全廃するという委員会の答申を国家が承認し、ドイツ全体が原発廃止に至った。この議論をした集まりの名前は、倫理委員会です。政治的・経済的な理由よりも倫理的な理由を優先して考える人たちの動きが、原発廃止の結果になりました。
日本ではバブルのころから倫理的という言葉をあまり使わなくなりました。私は倫理的な責任を取ることが人間にとって一番根本になければならないと考えています。そして倫理的な責任とは、この世界で人が人間的に生きることを妨げてはならないということです。
人類は過ちを犯してきたし、倫理的でないことが行われてきたが、大筋ではこの責任を取って生き続けてきた。しかしあと一度、二度、原発で大事故が起これば、私たちは将来の人間が人間らしい生活をしていく責任が取れない。将来の人間についても、今現に生きている自分自身についても不安を感じています。
私たちに求められているのは、原発の事故を絶対になくすことです。絶対になどということができるのか。できます。この国の原発をすべて廃止すればいい。私たちや私たちの子どもたちが原発の事故により大きい放射能の害をこうむるということは、絶対にない。それを私たちはやらなければならない。
「原発の電気がなくなれば生活はどうなるか」と政府や産業界、マスコミの一部までが脅迫しています。しかし、政治的責任・経済的責任よりも国防的責任よりも、人間が将来、人間らしく生きていけるかどうかということです。私たち市民一人ひとりがどのように生き、どのように新しい電気の道を開くか。その市民の働きが今、電気についても新しい道をつくり出していく。現に昨年の夏は節電をして、電力の危機と言われた事態をのりきりました。それを今年も来年も続けていくことだと思います。
東京で大きい集会をした時に、一人の方がジョン・レノンのイマジン、想像しましょうという詩のことを言われました。
私は想像することがある。それは近い将来のある日、ある朝、この国のすべての小学校、中学校、高校で、校庭にこのように生徒さんたちが集まる。そして先生が、生徒代表が、こう告げる。「みなさん、この国は原発を全廃することを昨日、決意しました。私たちの未来に原発事故の不安はもうありません」。そして子どもたちの大きい歓声が響くことを私は想像します。それを実現させましょう。

(写真 加藤登紀子さんがオープニングコンサートで熱唱【3月11日 郡山市・開成山野球場】)

(写真 高校生・鈴木美穂さんら福島県民6人が怒りを込めて発言【3月11日 郡山市・開成山野球場】)
小学1年と3年の子どもを持つ母親です。原発事故以降、毎日いや応なく迫られる不安。逃げる・逃げない、食べる・食べない、洗濯物を外に干す・干さない、子どもにマスクをさせる・させないなどさまざまな苦渋の選択をしなければなりませんでした。子どもたちは外遊びができず運動会もプールも中止です。
「10年後に後悔したくない」と夏休みに山形県米沢市に避難しました。自主避難は経済的な負担があり、二重生活の住宅ローンも重くのしかかります。父親は仕事の都合で福島市を離れられず、週末だけ子どもに会いに来ます。私は福島市まで毎日通勤しています。
子どもたちは米沢市の学校に転校しました。温かく迎え入れられ、お友達もあっという間にできました。不満も言わず元気に過ごしていますが、時折、「原発がなければ転校もなかった。米沢は放射能を気にせず外で遊べる。でも福島の方が楽しかった」とさみしそうな顔をします。
原発事故がなければ福島を離れることはありませんでした。米沢に来ても、福島が好きだという気持ちは変わりません。
原発事故から1年。とりわけ健康な作物と家畜を育んできた有機農業者への打撃は深刻です。しかし私たちは耕したくても耕せない農民の分まで農を営んできました。その結果、粘土質の有機的な土壌ほど作物へのセシウムの移行が低減されることがわかり、有機農業が再生の光であることが見えてきました。福島は幸い全国に誇れる有機農業県です。
玄米は98・4%が50ベクレル以下。500ベクレル以上の0・3%の玄米のセンセーショナルな報道が、どれだけ農民を苦しめたか。福島県民が加害者のような報道に怒りを持っています。マスコミが追及すべきは電力会社と国ではないか!
東北の農民は戦前は戦地で命を落とし、戦後は出稼ぎをして労働力を奪われ、都市に電気を送り食料を供給してきました。福島のきれいな里山も海も稲作文化も、農民が血のにじむ思いで築き上げてきた力です。
生産者と消費者を分断するのではなく、都市も農村も力を合わせて、大資本中心の日本のあり方を変えましょう。「頑張ろう日本」ではなく「変えよう日本」。今日を転換点にしよう。
3月11日の巨大津波は相馬市の漁業、農業、観光業をすべてのみ込みました。私は港町に生まれ育った漁師の妻です。夫が所属する相馬双葉漁業協同組合は全国有数の規模を誇っていました。
私はその日も明け方5時から市場で魚を販売し、午後、自宅に戻り、魚の加工販売の準備をしていました。その時、あの地震が起きた。長い揺れが収まると、消防車が「津波が来るから避難して下さい」と巡回しました。半信半疑で遠くを見ると、真っ黒い波が動く山のように見えたのです。やっと高台へ駆け上がりました。見えた光景はまるで地獄でした。
その頃、弟は船を守るため命を顧みず船を沖に出した。沖で仲間たちを励まし合い、帰ってこられたのは3日後。両親は家ごと津波で流されて帰らぬ人となりました。
漁師たちは漁に出るために魚具を一つひとつそろえてきました。しかし放射能がそれを許しません。毎週、魚のサンプリングをして、期待しては落胆の繰り返しです。
夫たちはもう一度、漁師として働きたい。私は夫のとった魚を売る仕事がしたい。おいしかった福島の魚を全国のみなさんに届けたいのです。
飯舘村で高原野菜をつくっていました。原発事故ですべて失いました。飯舘村の農家は農地も牛もすべて失い、涙を流して廃業しました。もう飯舘村で農業を行うことができない。どうやって生きろというのですか?
飯舘村は3月15日に44・7マイクロシーベルトでした。この高い放射線の中で村民は長時間、被曝させられた。誰の責任ですか? 放射能まみれの水道水まで飲まされた。死の灰をまき散らしておいて「放射能は無主物だ」と言う。何ごとですか?原発事故は人災です。東京電力と国はきちんと責任を取ってください。
美しかった飯舘村は放射能まみれで暮らせません。元のように美しい村で安心して暮らせるよう、新しい避難村を建設してください。
原発事故を二度と繰り返してはいけません。もっと声を大きく全国に世界に訴えていきましょう!
地元は郡山ですが、サッカーがしたくて富岡高校に進学し、寮生活でサッカーに明け暮れる日々を送っていました。
地震の翌日には川内村に避難しました。自衛隊や消防車が次々すれ違う光景は、現実とは思えませんでした。1号機が爆発し、川内村も危なくなり、郡山に避難することになりました。私を郡山まで送ってくれた先生は泣いていました。先生には原発に働く知人がいたのです。原発事故を終わらせることができるのは作業員の方たちです。でもその作業員は私の友人の両親や誰かの大切な人です。今も危険な事故現場で働く人がいることを考えると胸が痛みます。
原発がなければ津波や倒壊の被害に遭った方々を助けに行けました。それを思うと怒りと悲しみでいっぱいです。人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではないはずです。
線量が高い郡山で生活し続けることは不安ですが、おじいちゃん、おばあちゃんを置いて移住することはできません。
私は原発について何も知りませんでしたが、今ここに立っています。私たちの未来を一緒に考えていきましょう。
浪江町は原発のない町、しかし原発が隣接する町です。現在は本宮市の仮設住宅に入居中です。それまで9カ所の避難所を転々としました。
事故後の避難で、戦争終結後、中国大陸を徒歩で集結地に向かった記憶がよみがえりました。徒歩が車になっただけ、延々続く車列とその数日間の生活は苦しかった戦争そのものでした。
私は国策により二度も棄民にされる恐怖におびえました。いつの時も国策で苦しみ悲しむのは罪のない弱い民衆です。
「福島はもっと声を出すべき」との意見がありますが、喪失感が心を覆い、声も出ないのです。未来に生きる子どものことを考え、脱原発・反原発の実現を課題に生きていくことが唯一の希望かもしれません。
なぜ原発稼働? まだ原発は必要だという考えはどこから来るのでしょう? 原発は人の意志、行動で止められます。
全国のみなさん、確かな一歩を踏み出すために、もう少しの間、寄り添ってください。傷はあまりにも深いのです。
NAZENデモに檄
福島の女たちが熱く訴え
(写真 子ども福島代表世話人の佐藤幸子さん【右端】がNAZENのデモ隊に熱いメッセージ) 3月11日の郡山現地デモで、NAZENのデモ隊列に駆けつけた福島の椎名千恵子さん、佐藤幸子さんの訴えを紹介します。(編集局・・・
(写真 子ども福島代表世話人の佐藤幸子さん【右端】がNAZENのデモ隊に熱いメッセージ)
3月11日の郡山現地デモで、NAZENのデモ隊列に駆けつけた福島の椎名千恵子さん、佐藤幸子さんの訴えを紹介します。(編集局)

みなさんのデモの勢いに駆られてやって来ました。
今日の集会名称に「原発いらない!」を入れたのは、女たちの力です。みなさん、今日の集会に「原発いらない!」という言葉が入らなかったらということを、想像してみてください。本当に「原発いらない!」を入れられてよかった。
しかし油断はできません。日々こうして闘ってかちとっていかなければ「原発いらない!」は続いていきません。それを今日またあらためて確信しました。どうぞみなさん、またつながってください。世界を変えていきましょう。

みなさん、今日は福島の高線量地帯に、ようこそおいで下さいました。お役所は「もうここは大丈夫だ。みんな帰っておいで」と言ってます。
私は国連前で野田首相に「福島の子どもたちを守らないで世界に『原発は安全』を言うのは卑怯だ!」と、みんなの声を代表して叫んできました。
あと2基で全国の原発が止まります。原発がなくても電気が止まらないことを証明しましょう。
福島から発信したこの声が日本中を変えます。みんながつながれば大きなことができます。分断は絶対に許せない。どんなに意見の違う人でも「原発いらない」だけは一緒です。
今日の集会の「原発いらない!」の声を真っ先に上げたのは福島の女たち100人です。パレードへの規制に抗議したのも福島の女たち100人です。最後まで一周できて、みんなありがとう。
みなさん、地元に帰ったらこの感動を伝え、「福島は汚染地帯でも元気でした」と伝えて下さい。再稼働を許さなければすべての原発が止まります。一緒にやりましょう。
女たちがプレ企画開催
3・10、11郡山 原発いらない地球のつどい
(写真〈上〉 かんしょ踊り/〈下〉診療所建設へテーブルトーク【郡山市・ビッグアイ】) 「原発いらない!3・11福島県民大集会」のプレ企画として、3月10日と11日午前、郡山市で「原発いらない!地球(いのち)の・・・

(写真〈上〉 かんしょ踊り/〈下〉診療所建設へテーブルトーク【郡山市・ビッグアイ】)
「原発いらない!3・11福島県民大集会」のプレ企画として、3月10日と11日午前、郡山市で「原発いらない!地球(いのち)のつどい」が開催された。呼びかけたのは原発いらない福島の女たち、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークなど。JR郡山駅前のビッグアイと郡山市労働福祉会館を会場に、シンポジウムや講演会、映画上映会、テーブルトークなどさまざまなイベントが行われた。
10日夜は、原発いらない福島の女たちが主催する「原発いらない!交流と文化のつどい」。主催者の開会あいさつに立った黒田節子さんは「1年前、私たちは不安の中に打ちひしがれ、逃げまどい、いつも泣いていました。多くのものを失いました。そして1年。事故は収束もしていないのに、帰村宣言する村が出てきた。そんな中で、ここにいるすばらしいみなさんと出会えたことが本当にうれしく誇りです。命をいとおしみ、命に寄り添った生き方に変えていくかどうかが試されている。混沌(こんとん)の時代は変革の時代、私たちの時代です。一人ひとりが熱い改革者、志を高く掲げたパイオニアとなり、この世界を生き抜きましょう」と訴えた。
福島県内外からの参加者がリレートークで訴え、合間にさまざまな文化交流も行われた。椎名千恵子さんは、「イムジン河」の歌詞を「阿武隈川」と変えて「阿武隈川水清く、とうとうと流る」と古里への思いを込めて熱唱した。武藤類子さんの指導で、為政者による撲滅運動を突き抜けて福島の民衆が踊り続けてきた会津磐梯山古式踊り「かんしょ踊り」を、集った人たちが輪になって一緒に踊った。
最後に主催者の地脇美和さんが涙を流して訴えた。「今日も福島に住む女性から『慰霊の日である3月11日に、どうしてこんな企画を?』という抗議の電話をいただいた。私も慰霊の日として11日を迎えたい。だけど1年前、津波にのまれた浜通りでは、助けを求める声が聞こえる中で逃げなければならず、捜索できなかった。静かに慰霊をするためにも、原発を今すぐ止めるしかない。子どもたちが被曝させられる現実を受け止めるところからしか、私たちは一歩を踏み出せない。明日はみなさんと一緒に、すべての原発を廃炉にして新しい私たちの生き方を始める第一歩の日としたい」。参加者はあらためて3・11県民大集会の意義をかみしめた。
10日昼は「被曝労働の実態——使い捨てられる下請け労働者」と題して、1981年に原発下請け労働者を組織してつくられた全日本運輸一般労働組合原子力発電所分会で分会長を務めた斉藤征二さんが講演。敦賀原発で183人の下請け労働者を組織した経験を報告し、「今こそ原発下請け労働者の労働組合が必要」と訴えた。
11日の午前中もテーブルトークやワークショップが続いた。「福島での診療所づくり——今なぜ? どんな?」と題したテーブルトークでは、広島・高陽第一診療所の吉田良順院長を始め、福島と全国各地の医師が集い、地元の母親らとともに「福島では今、放射線被曝について話をすること自体がタブーとされている」「一日も早く診療所が必要」などと切実な討論が行われた。
3・11福島(郡山)を最先頭に全国と全世界で反原発の巨大なうねり
NAZENが各地で闘い牽引
東日本大震災から1周年の3月11日、郡山市で開かれた「原発いらない!福島県民大集会」(1面参照)と呼応し、原発立地県をはじめ全国各地で大規模な集会やデモが行われ、多くの人びとが「すべての原発を止めよう!」「再稼働を許さない!」などと訴・・・
九州各地でも、さまざまな集会が開かれた。NAZEN福岡やNAZEN長崎、レイバーユニオン福岡は郡山市の集会をはじめ北九州市、福岡市、佐賀市、長崎市の5カ所で集会・デモに決起、「全原発を廃炉に!」「原発再稼働を許すな!」「フクシマと連帯して闘おう!」と訴えた。鹿児島市、熊本市、宮崎市などでも反原発行動が闘われた。

(写真 5千人が集まったメディアドーム前の公園。福島からの避難者も発言【北九州市】)
●北九州市
5千人が集まったメディアドーム前公園での「さよなら原発北九州集会」には、黒田征太郎さんライブペイントや多くのブースが出された。集会では福島から北九州に避難してきた被災者がアピール、「すべての原発からの撤退を求める」との集会宣言を採択した。大地震の発生時刻に黙祷(もくとう)し、九州電力北九州支社とJR小倉駅までの2コースでデモ行進を行った。
NAZEN福岡や国鉄闘争全国運動・九州もブースを出し、昨年7月の佐賀県庁での激闘の写真などを展示、福島診療所建設へのカンパを呼びかけた。

●福岡市
福岡市でも須崎公園で「さよなら原発福岡集会」が5千人の参加で開かれ、九電本店を「人間の鎖」で包囲した。
集会では、福島から避難してきた人や、国を相手に労災認定を求める原発労働者らが「原発なくせ!」と訴えた。NAZEN福岡は福島診療所建設を訴えるリーフを大量に配布し、九電本店包囲デモでは右翼の妨害をものともせず、道行く人に「再稼働を阻止しよう」と呼びかけた。(写真上)

●長崎市
長崎市の中央公園では「さよなら原発3・11ナガサキ集会」が開かれ、1千人が参加した(写真上)。集会呼びかけ人の藤田祐幸さんが「玄海原発再稼働阻止を」と訴え、「核のない社会へ」と市内をデモ。結成したばかりのNAZEN長崎も、鮮やかなノボリを立てて参加した。
●佐賀市
玄海原発の地元・佐賀市では、「忘れないで3・11集会」が180人で行われ、とめよう戦争への道!百万人署名運動・久留米なども合流。集会では福島からの避難者が「原発のいらない社会を」と訴えた。九電佐賀支社や佐賀県知事公舎へ抗議デモを行い、「玄海をはじめすべての原発の再稼働を絶対に許さない!」と訴えた。玄海町でも650人が集会。玄海再稼働に「絶対反対」の強い意志を表した。

(写真 高崎市の中心街を労組など2500人がデモ)
高崎市では「力あわせる200万群馬/3・11さよなら原発アクション」が2500人の参加で大成功した。昨年4月以来、集会・デモ、学習会、講演会などをくり広げてきた「原発とめよう群馬」の呼びかけに平和運動センター、県労組会議、生活クラブ生協など80余りの団体が組織的賛同と取り組みで応え、この日の統一行動が実現した。大震災以来、群馬で最大の結集となった。
市役所前の城址公園の会場には各団体が店を出し労働組合旗が並んだ。プレ・イベントでは来月出産予定の女性の司会のもと、地元ミュージシャンや制服向上委員会が出演。本集会では在日の女性や無農薬野菜作りに取り組む青年が司会を担当し、医者や保育労働者、議員などが発言した。
福島県いわき市から群馬に避難してきた女性は、「福島県民は被曝の実験材料にされた。これだけ犠牲があるのに、まだ安全神話を言う。未来の子どもたちのために、私たちの責任で原発をなくし、フクシマとつながり続けてほしい」と呼びかけた。「原発のなくなる日まで行動しつづけます」との集会宣言を採択し、高崎の中心街をにぎやかにデモ行進。多くの市民、学生などが手を振って応えた。
福井県敦賀市では「さよなら原発・福井県集会IN敦賀」が開催され、1200人が参加、「すべての原発とさよならの決断を」と訴え市内をデモした。集会の賛同者は920の個人・団体。呼びかけ人の福井大学名誉教授・山本富士夫さんが「原発廃炉は国民の声だ。再稼働を許してはならない」とアピール。原発問題住民運動全国連絡センターの伊東達也さんは、「16万人がふるさとと未来を奪われ、失業者と低所得者を増大させている」「再稼働は言語道断だ」と訴えた。
小浜市明通寺の住職・中 哲演さんが「まもなく54基の原発が止まる。子どもたちに原発のない未来を。ものを言うマジョリティーになろう。大飯原発再稼働に反対を」と訴えた。集会宣言では「もんじゅをいますぐ廃炉に」と確認された。

札幌市では「さよなら原発1000万人アクション北海道」実行委による「東日本大震災・福島原発事故から1年、早期復興!なくそう原発!許すな再稼働!3・11北海道集会」に2千500人が集まった。(写真 上)
福島県からの避難者が発言し、「原発はすべてを奪った」と政府・東電を弾劾。NAZENさっぽろの会員は、東日本大震災救援対策本部の「原発と資本主義に終止符を」との1周年アピールを参加者に配った。
デモ参加者はプラカードを手に福島との連帯を呼びかけ、北海道電力本店を包囲した。泊原発1、2号機の再稼働攻撃が切迫するなか、「再稼働を許さない!」と怒りをたたきつけ、闘いの輪を広げようと訴えた。

(写真 伊方原発前で「再稼働阻止」をアピール【伊方町】)
伊方原発の地元愛媛県内では、福島の怒りと連帯する連続行動が数カ所で行われた。
伊方原発ゲート前では「原発さよならえひめネットワーク」呼びかけの抗議集会が70人で行われた。呼びかけに応えて愛媛県職労の組合員は「伊方原発再稼動NO!」の横断幕を持って参加。昨年6月以来毎月11日にゲート前座り込みを続ける「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斉間淳子代表が「伊方が福島原発と同じ目に遭えばどうなるか。恐怖だ」と廃炉を求めた。参加者らは「停止中の全3基の再稼働に反対する」再稼働反対の要請書を伊方原発当局に突きつけた。
松山市内では「伊方原発を止める会」による学習会とデモが行われ、300人以上が参加。松山駅前からアーケード街で「再稼働を認めるな」とアピール、飛び入り参加も相次いだ。新居浜市でも「停めよう伊方原発 新居浜パレード」が行われ、小都市としては画期的な160人が横断幕やプラカードで行進、「再稼働反対」を訴えた。
青森市では市文化会館で、「さようなら原発・核燃3・11県民集会」が約1700人の参加で行われた。俳優の山本太郎さんもかけつけ、「青森は日本中の核廃棄物を受け入れている。周りの人たちに反対の声を広げよう」と呼びかけた。手をつなぎ県庁を包囲するデモは「脱原発・脱核燃」を強く訴えた。
●東京
東京では、日比谷公園や国会周辺の「3・11東京大行進」などに約1万人が参加。「子どもを守ろう」「再稼働許すな」などのプラカードを掲げ東電本店前を行進した。
●大阪
大阪市では中之島公園や扇町公園で1万5千人が「なくそう原発」などと訴える集会を行った。福島県飯舘(いいたて)村から避難中の酪農家が「事故を風化させてはならない」と訴えた。
●愛知
愛知県では名古屋市、豊橋市などで集会が行われた。名古屋市での「さようなら原発・明日につなげる大集会」は約5千人が参加し、浜岡原発の危険性を訴えた。
●広島
広島では中央公園での「さようなら原発」集会などに2千人以上が集まり、「核と人類は共存できないと胸に刻もう」「原発を廃炉に」などのアピールが行われた。
NAZEN沖縄結成
“基地の島から反原発を”
(写真 「新自由主義の最たるものが原発だ」と活発な討議で結成【3月11日 那覇市】) 3月11日、NAZEN沖縄の結成集会が那覇市の八汐荘で開かれました。結成集会にはNAZENの全国呼びかけ人の福地曠昭さん、国鉄・・・
(写真 「新自由主義の最たるものが原発だ」と活発な討議で結成【3月11日 那覇市】)
3月11日、NAZEN沖縄の結成集会が那覇市の八汐荘で開かれました。結成集会にはNAZENの全国呼びかけ人の福地曠昭さん、国鉄闘争全国運動・沖縄の崎浜秀俊さんも参加されました。3・11福島県民大集会と連帯し、沖縄から2人の仲間が参加していることが報告されました。
主催者がNAZEN沖縄結成の趣旨を報告し、「子どもたちの命が脅かされている。原発は殺人兵器だ。沖縄は非正規労働者が多い。『命よりお金』という新自由主義の最たるものが原発。軍事基地も同じだ」と怒りを込めて訴えました。沖縄の地で新たな反原発運動を開始することが全体で確認されました。
福島からは、福島診療所建設委員会事務局長の渡辺馨さん、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表の佐藤幸子さんのメッセージが紹介されました。
討論で福地さんは、NAZEN沖縄の結成の意義を語り、崎浜さんは核の平和利用論を批判、労働者と相いれないと強調しました。参加者から、「命よりお金」の新自由主義への怒りが語られ、沖縄は「基地の島」「非正規労働の島」であり、「特区」攻撃に対し非正規撤廃、原発反対、基地反対で闘えるのは労働組合だという意見が出されました。結成宣言は拍手で確認されました。職場での実践を!
(M)
独仏など各国で大デモ
(写真 ドイツ各地で行動。写真は「グローンデ原発即時停止」のデモ【ハノーバー市】) (写真 フランス南東部モンテリマールの原発前で「人間の鎖」をつくるデモ参加者) (写真 スイス・ミューレベルクの原発前) ・・・
(写真 ドイツ各地で行動。写真は「グローンデ原発即時停止」のデモ【ハノーバー市】)

(写真 フランス南東部モンテリマールの原発前で「人間の鎖」をつくるデモ参加者)

(写真 スイス・ミューレベルクの原発前)

(写真 台湾の首都・台北での反原発デモ)
福島第一原発事故から1周年の3月11日、全世界で福島の労働者人民と連帯し、全原発の廃止を求める統一行動が闘われた。行動は、全世界の21カ国、132の都市に及び、原発とそれを推進する各国政府・電力資本への根源的な怒りがたたきつけられた。
ドイツでは、全土で数万人が「原発即時停止」を掲げて集会・デモを行った。アッセとブラウンシュバイク間で2万4千人が「核廃棄物処理問題は解決不可能だ」と訴え、たいまつの鎖をつくってアピールした。
ハノーバーでは、ドイツの反原発運動の中心であるゴアレーベンの現地闘争団体をはじめ数千人が結集した。
このほか、ブロックドルフ原発の周りを3千人が包囲し、グロナウ原発、ネッカーウェストハイム、グルントレミンゲンなどで、それぞれ数千人がデモを行った。
フランスでは、6万人が南部のリヨンからアビニョンまでの235㌔をつなぐ「人間の鎖」行動を行い、原発廃止を求めた。この行動は、「脱原発運動」と「“人間の鎖で反撃を”運動」などが主催し、核廃棄物の運搬を強いられているスッド・ラーユという鉄道労組や地元の住民・学生をはじめ、全国から労働者人民が参加し、フランス政府と電力資本への怒りをたたきつけた。
この地域には14基の原発が集中している。福島原発事故を契機に地域の運動は急速に活性化し、フランスの反原発運動を牽引(けんいん)する動力になっている。
バイヨンヌ、ボルドー、ブルゴーニュ、リール、ナントなどで人間の鎖行動が行われ、パリやフェッセンハイム、メッツでもデモが行われた。
イギリス西部のサマーセット州ヒンクリー・ポイント原発周辺で、10日から11日にかけて、1千人以上の労働者住民が、“24時間原発封鎖デモ”と原発を包囲する人間の鎖行動を行った。
この原発は、「核ルネッサンス」政策のもとに増設が予定されている八つの原発のうち最初に増設される原発だ。すでに1987年に増設を阻止しているが、あらためて増設阻止の運動が拡大している。
スイスの5基の原発の即時廃止を要求して大規模なデモが行われた。中部のミューレベルク原発に対しては5千人以上がデモ行進で抗議の意志を示した。
1月31日に三菱重工製の蒸気発生細管から放射能もれを起こし、運転停止などのトラブルが相次いだカリフォルニア州サンオノフレ原発に対し、300人がデモを行った。サンフランシスコでは、日本領事館と原子力産業のベクテル本社への抗議行動の後、ILWUローカル34(国際港湾倉庫労組第34支部)のホールで福島原発事故1周年の抗議集会が開かれた。
集会は、ノーニュークアクションが呼びかけ、平和退役軍人会、オキュパイ・サンフランシスコの協賛、オキュパイ・ウォール街が賛同した。ニューヨークでは400人が5番街をデモした。
シドニーで数百人、メルボルンでは500人が反原発デモを行った。ウラン採鉱企業のBHPとリオ・ティント社に対し、「ウラン鉱の採掘をやめろ」と抗議行動を展開した。
台北で、原発廃止をめざす市民団体が「さよなら原発」集会を開き、約5千人が総統府までデモ行進した。台中市や高雄市でも集会があり、3都市で約1万人が参加。
3・11福島県民大集会 集会宣言(抜粋)
あの忘れられない3月11日から1年がたちました。 原発の大事故が、どんな災厄をもたらすものか、私たちは初めて、身をもって知らされました。1年経っても、15万もの人々が県内外に避難しています。農地の除染の見通しはたたず、漁業はいまだ・・・
2012年3月12日発行 第2527号
原発再稼働阻止を(1)
関西電力大飯原発 階級的労働運動を推進し電力労働者の怒り組織へ
2月20日、高浜原発(福井県)が停止し、関西電力の全原発が停止した。全国でも稼働原発は残りわずか2基だ。反原発闘争は3・11福島県民大集会(郡山市)をもっていよいよ全原発停止・廃止の現実性を生みだしている。絶望的危機に陥った日帝・野田政権・・・
野田政権の「事故収束」宣言は、ふくしま集団疎開裁判の仮処分申し立て却下、経産省前テント撤去策動などが示すとおり、国家暴力でフクシマの怒りを圧殺する階級戦争宣言だ。大飯原発再稼働はこれと一体の攻撃であり、階級的力関係をめぐる激突だ。
全電力量の半分を原発に依存していた関電の全原発が停止したことは、日帝にとって労働者人民によって強制された“想定外”の事態だ。再稼働攻撃は戦略もなくほころびだらけだ。その破綻の象徴が原子力安全・保安院のストレステスト(耐性評価)である。
そもそもストレステストは原発メーカーの机上の計算にすぎない。原子力安全・保安院は当初「1次評価に加え、重大事故を考慮した2次評価が前提」と言いながら、その2次評価をやらずに「妥当」の判断を下した。“3・11”から何も学ばないし、学べば原発は動かせないのだ。
このふざけきったストレステストに人びとの怒りが爆発し、1月18日、経産省前は抗議の声で埋めつくされた。原子力安全・保安院は意見聴取会を「非公開」にし、これに抗議した2人の委員が欠席するなか、三菱重工などから多額の寄付金を受け取っていた座長の岡本孝司(東大教授)らが聴取会を強引に進めた。うわべの正当性もかなぐり捨てた再稼働への破綻的な突進である。
もはや「原子力村」の虚構は通用しない。2月24日から福井県議会は予算案審議に入ったが、むき出しの階級意志があらわとなっている。福井県と北海道だけが盛り込んだ、原発稼働を前提にした「核燃料税」の導入、そして原発再稼働の認可とバーターで与えられた「新幹線・敦賀駅の開業」である。北海道でも同様の認可が下ろされたが、これは国鉄1047名解雇の下手人であるJR東海会長・葛西敬之を東電会長に就任させる動きと一体のものだ。
新幹線開業は単なる「買収」ではない。福井県とJRは新幹線開業とともに「地元在来線の第3セクター化」を協議している。不採算路線を切り捨て、外注化で膨大な労働者の首切り・非正規職化を進めて地元経済を破壊する。そうして大失業を強制し、偽装請負が“慣習化”された原発労働に労働者を供給し続けるねらいだ。そのために地元を大型インフラ事業の物質力で徹底的に分断する攻撃だ。
民営化・外注化・非正規職化を通した原発への依存構造を拡大し永久化させること、これが野田政権と葛西ら日帝ブルジョアジーのねらいだ。「葛西と新幹線」を引っ張り出さなければ原発は動かせないということでもある。この腐りきった構造のすべてを粉砕することなくして再稼働阻止も全原発の廃炉もない。
反原発闘争は新自由主義との対決そのものだ。国鉄闘争全国運動を集約軸とした階級的労働運動の中に勝利の展望がある。国鉄闘争全国運動が原発への労働者人民の怒りをまるごと獲得する圧倒的展望が開けている。
大飯原発再稼働阻止への闘いは始まった。全学連は1月20日から1カ月間、再稼働阻止・関電本店前座り込み行動を貫徹。関電、警察権力の妨害をはね返して大きな支持と共感を巻き起こし、関電管内の全原発が停止するという画期的な地平を生み出している。関西での再稼働阻止の決戦陣形を構築するために必要なことは何か。
第一に、電力総連による支配をうち破る電力労働者の決起をつくり出すことだ。その現実性は開かれている。関電本店前座り込みには、関電の下請け企業で働いていた労働者も参加し、ともに再稼働阻止の声を上げた。
「関電下請けのコールセンターで原発事故の補償問い合わせの対応が業務だった」「原発事故直後なのに、社内では原発は絶対安全という教育が行われ、補償に関するまともな対応は一切指示されない」「反原発デモに参加して職場で報告したら解雇された」
これが現場労働者の声だ。労働者は電力資本にまったく屈服していない。何万人もの労働者が電力資本の内部で原発への怒りをたぎらせている。再稼働攻撃は、この怒りのマグマを解き放つ。重要なことは「危険作業の請負化」などで外注化・非正規職化を推進し、労働者を分断してきた電力総連の支配を粉砕することだ。それは可能だ。非正規労働とその重層的な下請け構造は、資本と体制内労組の強さを証明するものではない。逆に膨大な労働者の怒りを内部に抱え込み、反乱の現実性に絶えず戦慄(せんりつ)しているのが電力資本であり電力総連だ。全学連の座り込みは、関電の全原発を停止に追い込む闘いの力を引き出し、怒りの結集軸となって電力労働者の決起の展望を満天下に示している。
第二に、福島をはじめとする被災地との連帯を貫くことだ。3・11を引き起こした国家と資本の犯罪を徹底断罪し、新自由主義の全構造との非和解的対決を貫くことだ。このことが、再稼働阻止の闘いを体制内派の歪曲をうち破ってプロレタリア革命の勝利へ導く決定的な焦点なのだ。
第三に、自らの現場で新自由主義と対決する拠点を建設し、勝利の展望を示すことだ。2・26関西青年労働者集会で福島県教組元委員長の清野和彦さんは「困難に直面したときは足元を掘れ。そこに泉わく」と訴えた。その言葉どおり、反原発闘争を新自由主義との対決として貫く関西学生戦線は、昨年11・10反原発団交をかちとった地平を前進させ、1月31日に京大で開催された「高温ガス炉プラント研究会(新型原発の研究会)」に突入、主催者である東大・岡本孝司(前掲のストレステスト妥当判断の下手人)を徹底的に追及し、京大からたたき出した。キャンパスでの日常的闘いの蓄積は、御用学者の跋扈(ばっこ)を粉砕する力関係をも生み出している。
この中で関西学生戦線はいよいよ原発御用学者を生み出した元凶である教育の民営化=国立大学法人化体制そのものとの対決へと突き進んでいる。それは大阪市長・橋下徹との提携で大学を帝国主義間争闘戦の先兵へ純化しようとする京大総長・松本紘を打倒する、全学自治会再建の闘いだ。この地平を全面的に発展させ、地区党と学生の団結を強化し、大飯原発再稼働を粉砕しよう。
最後に、原発再稼働阻止への最大の突破口として3・18西郡・八尾北決戦への総結集を訴える。3・18こそ橋下・維新の会による道州制攻撃を先端的に貫く更地化攻撃を粉砕し、ソビエト建設を展望する決定的な闘いだ。この闘いは、橋下の掲げるペテン的脱原発や体制内派による反原発運動の歪曲を最後的にうち破り、青年労働者・学生の革命的決起を生み出す闘いだ。
3・18西郡・八尾北決戦への大結集で、階級的労働運動の拠点建設を本格的に推し進め、原発再稼働阻止の決戦に勝利しよう!
〔革共同関西地方委員会〕
NAZEN東海を結成
浜岡・もんじゅの廃炉掲げ
(写真 「労働組合の力で浜岡原発を廃炉に」などを訴えた結成集会【2月26日 名古屋市】) 2月26日、名古屋で東海3県(愛知、三重、岐阜)の闘う仲間が集まり、浜岡原発廃炉・もんじゅ廃炉を掲げ、NAZEN東海の結成・・・
(写真 「労働組合の力で浜岡原発を廃炉に」などを訴えた結成集会【2月26日 名古屋市】)
2月26日、名古屋で東海3県(愛知、三重、岐阜)の闘う仲間が集まり、浜岡原発廃炉・もんじゅ廃炉を掲げ、NAZEN東海の結成が宣言されました。
駆けつけたふくしま合同労組書記長の藤井千賀子さんは、3月11日に郡山市で開催される福島県民大集会への参加を呼びかけ、福島の復興は原発廃絶を土台にして初めて成り立つこと、原発再稼働は福島の被曝者切り捨てと事故責任の隠蔽(いんぺい)であること、労働組合を中軸に農民、漁民、商工業者も含めた闘いが力強く始まったことを訴えました。NAZEN東海のすべての仲間が3・11福島県民大集会に参加しともに闘うことを決意しています。
NAZEN呼びかけ人である松井英介医師のメッセージ、「内部被曝の基礎知識」の上映などを通して、低線量内部被曝の実態が明らかにされ、これまでの被曝「基準」が原発推進のために政治的に改ざんされたものだったことも明らかにされました。資本家と国家への怒りがつのりました。
地元東海から「労働組合の力で浜岡原発を廃炉に」(静岡労組交流センター)、「芦浜・熊野・海山(みやま)を阻んできた三重県の反原発闘争」(とめよう戦争への道!百万人署名運動三重連絡会)、「中電本店闘争を継続して闘おう」(愛知労組交流センター)など、闘いが報告され、NAZENあいちの代表からNAZEN東海結成が宣言されました。
NAZEN東海の行動方針として、①中部電力への抗議・申し入れ、再稼働・新設阻止と廃炉へ行動する、②福島の子どもや親たちの命と健康を守る診療所建設の募金運動、③1千万人全国署名、④3・11福島県民大集会への参加などが全員の拍手で確認されました。
(愛知・K)
2012年3月 5日発行 第2526号
NAZEN 5万余の署名を提出
経産省に“再稼働するな”
(写真 三角さんを先頭に経産省に署名簿を提出【2月28日 経産省】) 大型段ボール箱6個に納めたNAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)の署名簿が経済産業省本館会議室の机の上に積み上げられた。全・・・
(写真 三角さんを先頭に経産省に署名簿を提出【2月28日 経産省】)
大型段ボール箱6個に納めたNAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)の署名簿が経済産業省本館会議室の机の上に積み上げられた。全国のNAZENの仲間が職場や大学、街頭で集めた貴重な一筆一筆だ。「原発の再稼働も新規建設もやめよ、全原発の停止・廃炉を」「福島の人びとと子どもたちの命と生活を守れ」「国と東電は全被害を補償せよ」の署名の三つの趣旨は、労働者人民すべての要求だ。
2月28日、経産省に対しNAZENが署名提出行動を行った。午後1時半、経産省テント前に集合した30人の仲間は小集会をもった後、経産省別館のロビーに移った。経産省側は不当にも人数を制限した。これに強く抗議した後、代表の6人が署名簿を携えて本館の会議室に入った。
対応した3人の官僚は腕時計に目をやるなど、早く終えたい心理がありありだ。それを許さず、NAZEN呼びかけ人で8・6広島—8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委事務局長の三角忠さんが発言した。三角さんは「すべての原発をいますぐなくそうという3点の趣旨を明記した署名5万2千110筆を提出する。この署名の意味を遅滞なく正確に経産大臣に伝えて欲しい」と厳しい口調で要請した。
続いて、同じく呼びかけ人で弁護士の鈴木達夫さん、法大生の倉岡雅美さん、東京の学生が、署名に込められた多くの人の思いと怒りを述べた。事務局次長の富田翔子さんは「今日はひとりの母親として来ている。避難の権利さえ与えられていない福島の子どもたちの未来をどう思うのか。賠償もしないで何が再稼働だ!」と弾劾した。事務局長の織田陽介さんは「再稼働は全世界の人びとの生活や命に関わる問題だ。再稼働するな!」と強く要求した。最後に、署名簿の入った重い段ボール箱を一つひとつ受け取らせた。
提出後、仲間と合流し織田さんの司会でテント前において総括集会を行った。鈴木さんは「国家意思を背負っている連中はどうしようもないと強烈な印象を持った。彼らに対してはパリ・コミューンの原則で行きましょう」と発言。
三角さんは「経産省側は署名簿を受け取るだけで済ませようとしたが、全員が怒りを伝え勝利した。第2次、第3次の提出に向け、多くの署名を集めることを目的にこれからも頑張ろう」と檄(げき)を飛ばした。倉岡さんは「法大で集めた400筆を超える署名は、写真撮影や恫喝に負けないで必死に書いた血の一筆一筆です」と強調。東京の学生は「官僚の対応を見て国に対する不信感がますます芽生えた」と語った。
富田さんは「署名の重みをどれだけ活かすことができるか、NAZENの闘いにかかっている。これからも絶対あきらめないで闘っていこう」と訴えた。さらに呼びかけ人で弁護士の藤田城治さんが発言した。最後に全員で経産省に向かってシュプレヒコールをたたきつけた。
3・11福島県民大集会の勝利を実現し、再稼働を絶対阻止しよう。
放射線被曝から命を守れ! 3・11福島集会へ ⑤
被爆者の闘い継承し核と原発なくせ
広島・長崎原爆症認定訴訟
帝国主義の核政策を告発し内部被曝の真実を暴き出す
全国の集団訴訟で原告が歴史的勝利 広島・長崎の被爆者が闘ってきた原爆症認定訴訟は、帝国主義の核政策を根底から告発し、隠されてきた内部被曝の真実を暴きだした決定的な闘いだった。 「原爆症認定」とは、被爆者援護法に基づき、国が・・・
広島・長崎の被爆者が闘ってきた原爆症認定訴訟は、帝国主義の核政策を根底から告発し、隠されてきた内部被曝の真実を暴きだした決定的な闘いだった。
「原爆症認定」とは、被爆者援護法に基づき、国が被爆者に対して行う唯一の認定制度である。被爆者に生じた疾病や傷害が原爆放射線の影響であると厚生労働大臣が認定した場合、医療費の国庫負担と特別手当が給付される(ただし、認定を申請できるのは援護法第1条により被爆者健康管理手帳を交付された被爆者のみ)。申請が却下された場合、被爆者は国に対し却下処分取り消しを求める訴訟を起こすことができる。
2003年4月17日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の呼びかけにより、全国の被爆者が初めて集団での訴訟に踏み切ったのが、原爆症認定集団訴訟の始まりである。その当時、被爆者手帳所持者26万6598人のうち原爆症認定を受けたのはわずか2232人で、全体の0・8%だった(弁護団は訴状で「1%を下回るような制度は、『認定』制度ではなく、『却下』制度と呼ぶべきである」と弾劾した)。政府・厚労省は内部被曝の影響を無視した基準をもとに、被爆者からの申請をことごとく却下してきた。個人訴訟で原告が勝利しても、政府はむしろ認定基準の厳格化を図った。「被爆者は黙って死ね」と言わんばかりの態度に怒りが爆発して集団訴訟へと至り、最終的に原告団は306人、全国17地裁に係属して闘われた。
今日までに地裁・高裁合わせて30の判決が出ているが、内部被曝の影響を不当に無視した岡山地裁判決(10年6月)を唯一の例外として、行政訴訟としては異例の原告側29連勝で、原告団306人のうち279人が原爆症認定を受けている。政府・厚労省は08年から認定基準を緩和せざるをえなくなり、以後、新規認定者数は大幅に増加した。戦後一貫した日帝の反動的被爆者政策(とくに80年代、新自由主義への突入を境に認定者数が激減)に風穴を開けた歴史的勝利だった。
裁判では、原告の被爆者一人ひとりが、法廷で自らの被爆体験を明かし、原爆症に苦しんだ生活史を語った。「この苦しみが、原爆と関係ないとは言わせない」という怒りが、裁判闘争の最も根源的な力だった。
「原爆は、私の健康を奪いました。私の人生はつねに先の見えない不安を抱えた人生となりました。こんなことが起こる原因は、原爆以外に考えられません。……私が声を上げることで、一人でも多くの被爆者が救済され、日本が戦争は二度としない、核兵器を絶対に許さない国になればと思って、この裁判に加わることにしました。これが、原爆で命を失った人びとに対するつとめでもあると思います」(西本治子さん。長崎で被曝)
「被爆距離が4㌔だろうが、5㌔だろうが、政府が被爆の責任を認めて被爆者に謝罪する姿勢に立つのかどうか。申請でそれを問いたいのです。……被爆者が血を吐くような思いで原爆症認定を申請しても、機械的な基準で切り捨てる。その政府の姿勢を変えるためなら先頭を切って突っ込んでいきたい。そうでないと死んでも死にきれんですよ。……原爆被害を過小評価することは、再び戦争への道につながる」(荻沢稔さん。広島で被爆)
病室からそう訴えた荻沢さんは、訴訟準備中の03年10月にがん性腹膜炎で亡くなった。多くの原告被爆者が、自らの勝利判決を聞くことなくこの世を去っている。「体はもうボロボロ。国は絶対控訴しないでほしい」(東数男さん。高裁判決の1カ月前に死去)という被爆者の声を無視して、政府は裁判を長引かせ、勝訴した被爆者や遺族にも謝罪の一言もなく、却下した時と同様に一片の紙切れで通知するのみだった。まさにこの日帝政府の被爆者抹殺政策が、今日の福島への棄民政策につながっているのだ。
だが、原告被爆者らは不屈に闘い抜いた。一つひとつの勝利判決のたびに「闘ってよかった!」と歓喜した。
勝利判決の決定的根拠は内部被曝であった。被爆医師の肥田舜太郎氏や物理学者・矢ケ崎克馬氏(琉球大名誉教授、NAZEN呼びかけ人)の活躍が、内部被曝を決定的争点へと押し上げた。
原爆放射線による被曝態様は以下の三つに大別できる。①爆発後1分以内に照射された初期放射線による外部被曝、②それ以後の残留放射線(中性子を浴びた物質が放射能化した誘導放射線や「黒い雨」などの放射性降下物)による外部被曝、③放射能を含んだ水・食物・砂塵(さじん)などを体内に取り込むことによる内部被曝である。
政府の認定基準が根拠とするのは、「被爆者を治療せず、モルモットにした」あの悪名高き旧ABCC(原爆傷害調査委員会、現・放射線影響研究所)作成の被曝線量評価基準「DS86」である。これは①の初期放射線の外部被曝線量を爆心地からの距離で推定するものにすぎず、②は無視ないし軽視し、③については完全に無視する。
DS86を根拠に、爆心地から2㌔以遠の遠距離被爆者や入市被爆者は、ことごとく申請を却下されてきた。だが、澤田昭二氏(名古屋大名誉教授、広島の被爆者)や矢ケ崎氏が証明したように、実際には原子雲の傘の下(半径約20㌔)は大量の放射性微粒子が充満し、被爆者はこの高濃度汚染地帯をさまよい歩き、呼吸・飲食を通じ大量の放射性物質を体内に摂取した(図)。救護や肉親を捜すために入市した人びとも同様だ。
またDS86は、大量の放射性物質を洗い流した枕崎台風(1945年9月17日)の影響を考慮していない。米帝は当時、台風が去った後の広島・長崎に調査団を送り込み、残存する放射線を測定して「始めからこれだけしかなかった」と実際の汚染を大幅に過小評価したのだ(グラフ)。
DS86のゴマカシが法廷で暴きだされ、次のような判決が次々と闘いとられていった。
「DS86による被曝線量推定方式には現実と符合しない多くの問題点がある。……これらの線量評価が被爆者の受けた被曝線量を無視ないし著しく軽視していることは明らかである」「(厚労省の)審査の方針では、線量評価において外部被曝線量のみを考慮しており、内部被曝による被曝線量を特に算出していないが、内部被曝は、放射線被曝態様の重要な一つであり、これを無視することは許されない」「内部被曝の場合、放射性物質に近接した周囲の細胞が集中的に放射線被曝を受ける(ホット・パーティクル理論)のであるから、当該細胞から見れば、高線量被曝であり、受けた線量が同じであれば影響に差がないとするのは実態を無視するもの」(08年5月大阪高裁判決)
また、この判決で決定的なのは、ICRP(国際放射線防護委員会)をはじめ御用学者が口をそろえて担ぐ「100㍉シーベルト以下なら影響ない(リスクは確認されていない)」論の根拠とされる放影研疫学調査に対して、「現実との乖離(かいり)が甚だしく、その正確性に問題があるDS86に基づいて被爆者の初期放射線量を推定している上、残留放射線や内部被曝をまったく無視している」と断じ、疫学の方法としてもまったく誤っていること(例えば調査開始が1950年で、最初の5年間に死亡した被爆者が統計に含まれていない等)が指摘されたことだ。
また、千葉訴訟東京高裁判決では、「放射線がDNAにただ1つの損傷を創った場合でも障害が起こる可能性があることは動かし難く、…放射線の線量…ごく低いものであっても確率的に障害が起こりうる」と指摘している。
09年、麻生政権(当時)は、原爆症認定集団訴訟の政治和解に乗り出した。同年8月6日、被団協と確認書を取り交わし、原告全員の救済と引き換えに集団訴訟の終結を図った。だが、日帝は核政策や認定制度を根本から改めたわけではなく、内部被曝の有害性も認めていない。そして10年度以降、再び認定申請の却下件数が激増し、被爆者の怒りの声が噴出する中で、3・11福島原発事故が起きたのだ。
米日をはじめとする帝国主義の核戦略(核開発・核武装と原発政策)は、広島・長崎・ビキニの被爆者を政治的に抹殺し、内部被曝による長期的な健康被害を押し隠すことと表裏一体だったのだ。そこには、マンハッタン計画副責任者ファーレル准将が、45年9月6日に発した「広島・長崎では死ぬべき者はすでに死に、原爆放射能に苦しむ者は皆無だ」という米公式見解が貫かれてきた。「100㍉シーベルト以下のデータがない」のではなく、その被害を知りながら政治的に切り捨て、公式記録から排除してきたのである。
原爆症認定集団訴訟は、被爆者の渾身(こんしん)の決起で内部被曝の真実を明るみに出し、ICRPを始めとする既存の「放射線防護体系」が、帝国主義の核政策を擁護し、その犯罪行為を隠すための虚構の体系であることを暴きだした。
最後に、原発労働者の労災認定の状況について触れておきたい。
今月24日、福島第一原発での作業中に心筋梗塞で死亡した配管工・大角信勝さんの労災が認定された。大角さんは、東芝の4次下請けにあたる建設会社の臨時雇用労働者で、昨年5月に亡くなった。労災を求めた遺族は、放射線被曝による死亡の可能性や救急体制の不備を指摘したが、労基署は「短時間の過重業務による過労死」だったとしている。
これまで、作業中に浴びた放射線を原因として労災認定された労働者は10人、内訳は白血病6人、多発性骨髄腫2人、悪性リンパ腫2人。累積被曝線量が最も高かった人は129・8㍉シーベルト、残り9人は100㍉シーベルト以下で、最も少ない人は約5㍉シーベルトだった。
被曝による白血病のため29歳で亡くなった青年労働者・嶋橋伸之さんは、8年10カ月で累積50・6㍉シーベルトを被曝したとされ、死後労災認定を受けたが、彼の放射線管理手帳は下請け会社の手で何十カ所も改ざんされていたという。しかも、「原発では、”労災申請ができない力”が強く働いている。……労働者が労災申請をすれば、発注者から二度と仕事が回ってこなくなる。……原発ではずさんな管理が行われていたのにもかかわらず、労災申請は08年度までの32年間で48件しかない」(週刊東洋経済記者・風間直樹講演)。外注化をテコとした原発労働の重層的支配構造のもとで、労働者の被曝の実情は闇から闇に葬り去られてきたのだ。
反原発の闘いは、新自由主義のもとでの資本の支配を覆すことと一体だ。原発推進に加担してきた連合など御用組合の支配を職場の闘いで打ち破ろう。
被爆者が命をかけて闘いとった勝利の地平は、今こそ反戦反核・反原発の闘いの中に継承されなくてはならない。世界から核と原発をなくすために立ち上がろう。3・11郡山をその歴史的な出発点としてかちとろう。
(水樹豊)
被災現地から1周年アピール
3・11郡山集会に大結集して原発と資本主義に終止符を
東日本大震災現地救援対策本部
大震災と原発事故から1周年にあたり、東日本大震災現地救援対策本部より3・11郡山への大結集を呼びかけるアピールが寄せられた。この熱い呼びかけに全力で応えよう。(編集局) 怒り、怒り、怒り! 子どもたちに甲状腺がんの症状があらわれ、自治体労・・・
3・11を境にして、あらゆる闘いは労働者民衆の生死をかけた闘いになりました。
去年までの春闘は終わりました。今や何の魅力もありません。労組執行部が賃金交渉の窓口を装い、資本による賃下げ・首切り・非正規化の承認機関として労働者を売り渡すあり方はもはや通用しません。青年労働者の社会変革への熱烈な欲求が、労働運動に新たな生命力を吹き込み、古い支配のあり方を崩壊させました。
「仲間の死の責任は人員削減と労働強化を強いてきた当局にある! 奪われた安全と労働条件を取り戻そう!」——仙台市職労の中から開始した闘いは、亡くなった仲間の無念を晴らし、「仲間の命を守るのが労働組合だ!」とつかみ取り、今までの労働組合観を根本から変革する闘いです。そして2万人の仲間の死に向き合い、すべての人びとの未来を切り開く闘いです。だからこそ、一枚のビラが当局を震撼(しんかん)させ、あらゆる反動を引き出し、職場を激しく揺り動かしているのです。
「復興需要は巨大なビジネスチャンス」と公言する宮城県知事・村井嘉浩、「市職員が身を削って復興財源を生み出さなければならない」と賃金カットを強行する仙台市長・奥山恵美子。しかし、ハッキリさせましょう。彼らの語る「復興」こそ、被災地の民衆から土地も職も命さえも奪い尽くし、大資本のみが肥え太る最悪の新自由主義です。労働者にとって憎しみの的です。
復旧工事の現場がひとつ終わるたびに失業が待ち受けている下請け労働者の姿を見よ! 大手ゼネコン鹿島ががれき処理で2千億円の「復興特需」にありつく一方で、被災地の労働者の賃金を削って語られる「復興」とは、いったい誰のための「復興」なのか! 震災解雇で首を切り、新規求人は9割非正規化です。仙台市職労で始まった闘いを被災地全体、日本全国に押し広げましょう! 闘う労働組合の拠点を被災地につくり、やつらの「復興特区」「被災地支援」の化けの皮を引きはがし、粉々に打ち砕こう。
福島では、福島県教組の仲間が「原発いらない!3・11福島県民大集会」の先頭に立っています。バラバラにされた職場や家族を取り戻し、子どもたちの命を守るために、団結して闘おうという渾身(こんしん)の決起です。
郡山市では、国労郡山工場支部が闘いの旗を立てました。「3・11集会に何としても2万人結集を!」とアピールを発しています。国鉄分割・民営化から25年、原発事故の足下でついに国労の中から動労千葉、動労水戸に続いて、闘う労組拠点が公然と登場しました。
失われた仲間への真の追悼は、3・11を生み出した国家・資本との闘いの中でこそ果たされます。だからこそ、私たちは3・11の惨劇に終止符を打つため、「すべての原発を今すぐなくそう!」と訴えます。家族、友人、仲間の命日である3月11日に、「原発いらない!福島県民大集会」を成功させましょう。
集会不参加を早々に決めた連合本部の思惑とは反対に、「反原発を取り組まない春闘はありえない!」と多くの労働組合が結集を始めています。連合支配は終わりだ!
1年間の闘いの到達点として、そして新たな闘いへの跳躍点として、「資本家なしでやっていける労働者の力」を解き放ちましょう。郡山開成山球場に全国から労働組合の旗をたなびかせて結集しましょう!
原発は20万人もの福島県民から故郷を奪いました。収穫の喜び、暖かな食卓、職場の人間関係、子どもたちの未来、すべてを奪い尽くしました。「事故収束宣言」、放射能安全キャンペーン、原発再稼働と海外輸出。いったいどこまで人びとを踏みにじれば気がすむというのでしょうか。
原発施工メーカーの大成・鹿島・大林が72億円の「除染モデル事業」に群がり、被曝医療までもが「ビジネスチャンス」と呼ばれています。そして人間の命に1人8万円、子どもと妊婦は40万円という「賠償額」が値札のようにつけられる。こんな資本主義社会は一刻も早く終わらせましょう。
農民、漁民、子どもを持つ親たち、福島から避難した人たち、すべての人びとの怒りとつながり、54基の原発を今すぐ廃絶しましょう。
最後にあらためて、36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、福島診療所建設へのご協力を心から訴えます。
『週刊文春』3月1日号は、福島から避難した子どもたちから甲状腺がんの疑いのある症状が発生していることを報じました。山下俊一・福島県立医大副学長が「独自の検査は遠慮してください」と、被害のもみ消しに暗躍しています。
私たちは医師の仮面をかぶった人殺しが福島を蹂躙(じゅうりん)することを決して許しません。御用学者をただちに牢獄へと追放し、人びとの拠りどころとなる診療所を、労働者民衆自身の手でいち早く建設しようではありませんか。
現地救援対策本部は、全国の皆さんとともに労働者民衆の未来をかけて被災地から闘います。一層のご支援と共闘をお願いします。3月11日、郡山で会いましょう。
玄海原発再稼働阻止
佐賀県集会に2100人が結集
2月26日、佐賀市のどんどんどんの森広場で、「さようなら原発1000万人アクション佐賀県実行委員会」などが主催する「原発再稼働にNO! いのちが大事! さようなら原発 九州総決起集会」が開催され、2100人が参加しました。佐賀県の・・・
2月26日、佐賀市のどんどんどんの森広場で、「さようなら原発1000万人アクション佐賀県実行委員会」などが主催する「原発再稼働にNO! いのちが大事! さようなら原発 九州総決起集会」が開催され、2100人が参加しました。佐賀県の玄海原発は今、全原子炉が停止していますが、野田政権は再稼働を狙っています。これに対する地元佐賀県を始めとする労働者の怒りが2千人を超える結集となりました。(写真)
NAZENナガサキも参加して、福島原発事故から1周年の3・11福島集会への参加を訴えるチラシを配り、「フクシマと連帯して、すべての原発をいますぐなくそう! 3・11福島へ!」と全参加者に訴えました。
玄海原発、とりわけその1号炉は、原子炉の脆弱(ぜいじゃく)化が激しく、全国で一番危険な原子炉といわれています。その脆弱性は、冷却したら原子炉が割れてしまうというほどで、福島のように事故が玄海原発で起きたら冷却もできないというほど危険な状態だと言われます。老朽化が進む玄海原発での事故は、福島原発事故以上の大事故になる可能性があるのです。
しかし野田政権は、その危険を百も承知で再稼働を強行しようとしている。原発再稼働と原発政策の維持は最優先課題であり、労働者の被曝や命・生活には何の関心もないのです。労働者・住民の生きる権利を虫けらのように踏みにじろうとしているのです。玄海原発の再稼働は絶対阻まなければいけない!
集会の後はデモを行い、九電前では「再稼働を絶対に許さないぞ!」と怒りの声をたたきつけました。
(K)
2012年2月27日発行 第2525号
ビキニデー58周年集会 核・原発の廃絶を宣言
内部被曝の危険性が鮮明に
(写真 第五福竜丸元乗組員の大石又七さんの訴えに聞き入る【2月19日 渋谷区・千駄ケ谷区民館】) 1954年3月1日、静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸がアメリカの水爆実験で被爆した「ビキニ事件」。ニュースは世界中に衝撃となって・・・
(写真 第五福竜丸元乗組員の大石又七さんの訴えに聞き入る【2月19日 渋谷区・千駄ケ谷区民館】)
1954年3月1日、静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸がアメリカの水爆実験で被爆した「ビキニ事件」。ニュースは世界中に衝撃となって伝わり、全世界的な反核運動の出発点となった。ビキニはヒロシマ・ナガサキとならんで世界の反核運動の原点だ。ビキニ事件の歴史は核と原発が一体であり、帝国主義の打倒によってこそ核も原発も廃絶できることを示している。
事件から58年。2月19日、「2・19ビキニデー58周年東京集会」が渋谷区の千駄ケ谷区民館で210人の結集で大成功を収めた。今回の集会は福島第一原発事故責任徹底追及、再稼働阻止・全原発廃炉の闘いと完全に一つの闘いとして開催された。
集会前半にはDVD「空母オリスカニの原爆製造室」の上映を行った。1953年に米帝が北朝鮮に対する核攻撃を準備していたことを暴く内容だ。米帝はヒロシマ・ナガサキからわずか8年後、日本を最前線基地として3度目の原爆投下を計画していた! 帝国主義への怒りがみなぎる集会となった。
司会を法政大学の倉岡雅美さんが務めた。まず、憲法と人権の日弁連をめざす会代表で弁護士の高山俊吉さんが主催者あいさつ。高山さんは先日の日弁連会長選挙での大健闘を報告し「3・11郡山に集まろう」と呼びかけた。集会呼びかけ人である反戦被爆者の会の下田礼子さんからメッセージが届いていることを司会が報告した。
DVD上映の後、第五福竜丸元乗組員の大石又七さんが「ビキニ事件の真実」と題して講演を行った。大石さんは「日米政府はビキニ事件を、被爆者や被害者の頭越しに9カ月で政治決着させた。私たちは発病しても死んでも原爆症と認められない。この悔しさ、『忘れられてたまるか』という気持ちで事件の詳細を調べ始めた。それから放射能と内部被曝、核兵器と原爆の怖さを何十年も伝え続けてきた」と憤激をみなぎらせた。さらに「中曽根康弘や正力松太郎などが日本に原発を導入した」と弾劾し、「福島第一原発事故はその結果起こった」と怒りをあらわに語った。
続いて岐阜環境医学研究所所長で医師の松井英介さんが「内部被曝の特性とその健康影響」と題しスライドを駆使して講演した。松井さんは冒頭「キーワードは『低線量』放射線内部被曝」と核心を提示し、アルファ線、ベータ線による内部被曝が細胞を破壊してさまざまな病気を発症させると指摘。具体例として、チェルノブイリ事故後のウクライナやベラルーシにおける多様な疾病の多発を報告し警鐘を鳴らした。
後半に移り、特別報告その1を動労水戸書記長の木村郁夫さんが行い「福教組、国労郡山工場の労働者と連帯して闘う」と決意を語った。特別報告その2で青森反戦反核学習会実行委員会の中道雅史さんが「4・9反核燃の日」行動への結集を呼びかけた。
NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)事務局長の織田陽介さんが決意表明に立った。織田さんは「3・11を闘いの日にしよう。われわれの闘いで再稼働を止めよう。核も原発もなくし、社会を根本的に変えていく日にしよう」と訴えた。
主催者で8・6広島—8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会事務局長の三角忠さんがまとめを行った。
三角さんは、昨年亡くなった坂井留吉さんと吉田義久さんの遺志を継ぎ、この集会の呼びかけ人を全国陣形にして闘い大成功したと表明。そして1960年代以降、全国30カ所以上で住民と労働組合が団結して闘い原発建設を阻止してきたことを明らかにした。「労働組合と地元住民が団結して闘えば再稼働を阻止し、原発をなくすことは絶対に可能だ」と呼びかけて、3・11福島県民大集会への結集を訴えた。
最後に全員で「団結ガンバロー」を三唱。3・11福島県民大集会の勝利への奮闘を誓い合った。
放射線被曝から命を守れ! 3・11福島集会へ④
低線量内部被曝の危険性
被曝症例と生物分子学で解明 被曝労働が階級闘争の焦点に
福島県は2月20日、浪江・川俣・飯舘の住民1万人を対象にした健康管理調査について、これまでの外部被曝線量の推計値が最大23㍉シーベルトと発表した。御用学者の山下俊一は、なんら根拠のない「年間100㍉シーベルト=安全」論をもちだ・・・

福島県は2月20日、浪江・川俣・飯舘の住民1万人を対象にした健康管理調査について、これまでの外部被曝線量の推計値が最大23㍉シーベルトと発表した。御用学者の山下俊一は、なんら根拠のない「年間100㍉シーベルト=安全」論をもちだし、「健康影響は考えにくい」と持論を繰り返した。福島原発事故による被曝をできるだけ小さくみせかけ、原発再稼働の道筋をつけることを狙っている。どんな量の放射線でもがんを誘発する可能性があることを無視し、内部被曝の問題を完全に蒸発させている点で、悪質きわまりない。
放射能は目に見えず、においもせず、感覚でその存在を確かめることができない。しかし、それが人体を傷つけ殺す猛毒であることが、おびただしい犠牲をとおして明らかになってきた。
労働者と被曝の問題を衝撃的に突き出した歴史的事件としては、1920年代の米国のラジウム・ダイヤル・ペインターの内部被曝が有名である。夜光時計を生産する工場を経営していた資本家は、ラジウムが含まれた夜光塗料を時計の文字盤に塗る際に、放射能の危険を知りながら労働者に対しては一切知らせず、筆の先を唇や舌でなめてとがらして作業することを強制した。その結果、ラジウムが体内に取り込まれ、数千人の女性労働者が内部被曝して骨肉腫や白血病などが多発し、命を失う人が続出した。
原発や核兵器は、ウランやプルトニウムの核分裂のエネルギーを利用する。それは、ウラン採掘から始まって原子炉や再処理工場、そして核廃棄物埋設まで全過程にわたる被曝の問題を発生させる。米帝の核開発(マンハッタン計画)、その後の米ソ核実験競争、さらに原発の開発・稼働は、大量のウランを必要とした。ウラン鉱石が掘り出され、多数の労働者が坑内のラドンガスを吸って、肺がんを発症した。米国のハンフォード工場のプルトニウム製造(長崎の原爆もここで造られた)では、大勢の労働者と周辺住民が被曝した。5千人の風下住民がデュポン社を相手に集団訴訟を起こし、闘っている。
「ヒロシマ・ナガサキ、ビキニを繰り返すな」と被爆者を先頭に闘われてきた日本の反戦反核闘争は、核と人類は絶対に相いれないことを訴え続けてきた。福島原発事故は、現場労働者の過酷な被曝労働の実態を暴き、原発を推進し被曝を強いる支配階級への労働者民衆の根源的怒りを爆発させている。被曝・内部被曝問題が階級闘争の攻防の焦点にますますなりつつある。
福島原発事故で放出されたヨウ素、セシウム、それにストロンチウムとプルトニウムなどが体内に取り込まれると、健康に深刻な影響を与える。ヨウ素131とセシウム137は両者ともβ線とγ線を出し、前者は甲状腺に蓄積して甲状腺がんや甲状腺結節、後者は筋肉や生殖腺に蓄積して乳がんや子宮がんなどの要因となる。β線を出すストロンチウム90は骨に沈着して骨がんや白血病に、α線を出すプルトニウム239は肺やリンパ節や血管そして骨や肝臓などに付着・移行して肺がんや骨がん、肝臓がん、白血病などになるリスクがある。γ線しか計れないホール・ボディー・カウンターでは、ストロンチウムやプルトニウムを計測することができない。
人間は一つの細胞(受精卵)から始まる。1個が2個の細胞に分裂し、次々と分裂を繰り返し、60兆個もの細胞となり、人間の体が形成される。そして細胞は絶えず再生産を繰り返す。人間の生体の基本であるこのような細胞に対し、放射線は破壊的作用をもたらす。細胞→細胞核→染色体→DNA・二重らせん鎖→分子→原子というミクロの領域に関する研究によって、放射線の人体に対する影響の生物分子学的解明が次第に明らかになってきている。内部被曝・低線量被曝の危険を立証する内容が相次いでいる。
原発事故で放出された放射性物質は、微粒子の状態で拡散する。呼吸や飲食をとおして体内に取り込まれた場合、α線、β線、γ線のうちα線とβ線が特に危険である。α線は体の中だと0・04㍉メートル飛んで止まるが、その間420万電子ボルトというエネルギーを放出し、10万個の分子を切断する。β線は体内中では10㍉メートル飛んで2万5千個の分子を切断する。
細胞の核にあるDNA(遺伝物質)は、細胞の分化・増殖などに関するすべての情報を持つ生命の設計図であり、2本の巨大分子(二重らせん鎖)から構成されている。DNAの二重鎖が切断されると、それを修復する作用がある。しかし誤って修復される場合もあり、完全ではない。内部被曝では、α線やβ線によって分子切断が大量に行われるので、二重鎖の2本とも切断される可能性が強い(図A)。2本の切断は、1本の切断に比べて修復がむずかしく、また修復に誤りが生じやすく、細胞にとってきわめて危険といわれる。修復できなかった場合は細胞の死をもたらす。間違って再結合して生き延びた場合には、間違って組み替えされた情報が受け継がれたまま新しい細胞がつくられていく。がんや白血病の原因となる。それは被曝後、ただちに明白になるのではない。長期の潜伏期を経て発症する。
放射線は遺伝子を傷つけるだけではない。低い線量の放射線は無害ではなく、長時間照射すれば細胞膜をたやすく破壊することが実験で確認されている(ペトカウ効果)。放射線が細胞液の酸素に衝突すると活性酸素が生じ、それが細胞膜を溶かし細胞液が漏れ出て細胞は死ぬ(図B)。1個の活性酸素分子が1個の細胞(体積は約6兆倍)を破壊する力を持っているという。逆に活性酸素の同じ場所での大量発生は互いにぶつかり合って無害な酸素分子となる。低線量放射線によって生じる活性酸素は、免疫系やホルモン系に悪影響を与え、早産、乳児死亡、感染症、がんなどをもたらす原因と考えられる。
低線量被曝の深刻さは、ゴフマン(本紙2521号参照)が広島・長崎の被爆者の膨大な疫学データを基に証明した。
さらに、バンダジェフスキー(元ベラルーシ共和国ゴメリ医科大学学長)は、1990年から99年にかけて、チェルノブイリ原発事故で被曝した数千人の大人や子どもの健康についての研究、臨床、遺体解剖などを行った。導き出された結論は、「放射性セシウムがわずかでも生体の臓器に取り込まれると、疾患が悪化したり、他の疾患との合併症を引き起こしたりする危険性が非常に高くなる」というものだった。少しの量の体内セシウムでも、心臓、肝臓、腎臓など生命維持に必要な器官への毒性効果が見られた。幼児の高血圧、発育不良、脳の発達支障、低体重児、糖尿病やすい臓がんなど、さまざまな疾病がもたらされることを裏付けた。
これらの画期的発見は、低線量・内部被曝を無視・抹殺することでかろうじて成り立つ原発・核燃料サイクル推進に根底的打撃を与えている。
内部被曝が健康に与える深刻な影響は、今も続いているヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、チェルノブイリなどの被曝症例から、さらに生物分子学研究の深化によって、ますます明白になってきているのだ。この結論は、すべての原発・核燃の即時廃絶しかないのである。ところが、野田政権は「100㍉シーベルト以下は健康に影響はない」と強弁して、福島県民をはじめとした労働者民衆を被曝させながら、原発再稼働・原発輸出をあくまでも策動し、核武装化推進にしがみついている。絶対に許せない! 原発事故の責任を徹底的に追及し、日帝支配階級を打倒し、未来を奪い返そう。フクシマの怒りとともに3・11福島県民大集会を爆発させよう。
(河東耕二)
“伊方原発再稼働させぬ”
事故前提の避難訓練に抗議
(写真 「第二のフクシマを想定した訓練を中止せよ」と訓練本部の愛媛県庁前で訴えた【2月16日 松山市】) 2月16日、愛媛労組交流センターとNAZENヒロシマ・徳島・岡山の共同行動として、愛媛県の「原子力防災広域・・・
(写真 「第二のフクシマを想定した訓練を中止せよ」と訓練本部の愛媛県庁前で訴えた【2月16日 松山市】)
2月16日、愛媛労組交流センターとNAZENヒロシマ・徳島・岡山の共同行動として、愛媛県の「原子力防災広域避難訓練」の実施に対する抗議闘争を21人で闘い抜きました。
この「避難訓練」は「福島第一原発の事故を踏まえ……、伊方発電所の3基の原子炉が全電源喪失する事態」「炉心の損傷の可能性があり、原子炉格納容器からの放射性物質の放出」という過酷事故に備え「30㌔圏内の住民の安全を確保する」ためと称するものです。”再稼働して、第二のフクシマが起こる”ことを平然と想定しているのです。
しかも、訓練はヘリ護衛艦「いせ」や輸送艦「ゆら」を始め陸海空自衛隊、行政、警察、消防、通信、病院、学校など60機関を動員した大規模有事訓練です。国・野田政権・電力資本・愛媛県は、「たとえ第二のフクシマを引き起こすことになっても原発を再稼働する」と宣言してきたのです。3・11から1年を前に、「原発をなくせ」「子どもの命を放射能から守れ」と必死に叫んでいる福島の労働者、農民、漁民、お母さんたちに対するこれほどの許し難い挑戦があるでしょうか! いま必要なことは避難訓練などではなく、原発をとめ、なくすことです。本当に怒りが沸き上がります。
私たちは福島の怒りとひとつになり、再稼働阻止決戦の火ぶたを切るべく、朝7時半に訓練本部である県庁前に登場しました。「伊方原発再稼働をやめろ」「第二のフクシマを想定した訓練を中止せよ」のアジテーションが響き渡り、県の職員は次々とビラを受け取っていきます。
続いて、松山の原子力安全本部に移動し、のぼりを翻して申し入れ行動。本部前で怒りのシュプレヒコールをたたきつけました。
11時からは愛媛県庁内で、愛媛労組交流センター、NAZENと婦人民主クラブ全国協の仲間が、「訓練の中止と、再稼働せずに伊方原発を廃炉にすること」を県知事に申し入れ。テレビ、新聞など多数の記者が注目する中で、対応した秘書課職員に申入書を渡して読み上げました。
その後、記者会見も行い、再稼働阻止へ活動し続けていくことを表明しました。昼休み時間には再び県庁前でビラまき、署名、マイク宣伝。昼食に出かける県職員も次々にビラを受け取り署名に応じてくれます。「庁舎内にもバッチリ聞こえてます」と教えてくれる労働者も。ビラは朝から全部で700枚が受け取られ、半日にわたり訓練本部は怒りの声に包まれました。
今回の避難訓練は、2月20日に予定されている「伊方原発3号機のストレステスト1次評価の意見聴取会」と軌を一にして行われ、さらに2月末県議会での「再稼働容認」に向けたものです。伊方原発の再稼働をめぐる攻防はこの2月県議会から4月にかけての決戦となりました。3・11福島への大結集運動を軸に、地元で粘り強く闘い、かつ中四国・全国のNAZENの力を総結集して、絶対に伊方原発の再稼働を阻止する決意です。
(愛媛・H)
長崎、新潟でNAZEN
3・11福島へ大結集の機運
(写真 NAZENにいがたの結成集会。準備のすべてを青年労働者が担った【2月19日 新潟市】) (写真 藤田祐幸さんを講師に迎え結成【19日 長崎市】) 柏崎刈羽の再稼働許さない 2月19日、新潟でも青・・・
(写真 NAZENにいがたの結成集会。準備のすべてを青年労働者が担った【2月19日 新潟市】)

(写真 藤田祐幸さんを講師に迎え結成【19日 長崎市】)
2月19日、新潟でも青年労働者を中心にNAZENが結成された。結成集会は、青年がすべてを準備して開催した。豪雪の中、「脱原発アクション」で知り合った青年労働者をはじめ60人が結集した。
集会は、運輸職場で働く青年労働者の司会で始まり、代表になった女性労働者が「フクシマの怒りと結び、診療所建設基金を集め、3・11郡山に総結集しよう。柏崎刈羽原発の再稼働を許さない」とあいさつした。
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人の佐藤幸子さんが講演した。佐藤さんは、「国・県は町内会を動員して高圧洗浄機で除染しているが、『移染』にすぎない。大企業は除染でもうけている」と暴露。「今の子どもは、安全な食品を食べることができず、免疫力が落ちている。チェルノブイリでは、5年後がピークと言われたが、福島ではそれよりも早いのではないか。福島では、子どもが鼻血を出したり、熱が出たりして病院にかかっても医者は放射能のせいではないとあえて言うし、母親たちは高い線量の中で生活していることに大変なストレスを抱えている」と訴え、「今日の話を聞いて納得できたことを友人に話してほしい」と呼びかけた。
青年によるリレートークに5人が立った。「命を軽視して金もうけする今の社会は間違っている」「放射線を大したことないという精神論でかたづけようとするのはおかしい。原発はなくすべき」などと怒りを込めて発言した。
最後に「『原発いらない!3・11福島県民大集会』に新潟からも大勢結集し、福島の怒りと結びつき、原発のない社会を実現するための大きなうねりをつくりだそう」と結成宣言を確認した。
集会後、沿道に雪がうず高く積みあがる中、青年を先頭に「すべての原発をなくそう」「東北電力は原発の再稼働をやめろ」「柏崎刈羽原発の再稼働阻止」をコールしながらモール街をデモ行進、沿道から手を振る人、車の中から手を振る人も現れた。
NAZENにいがたは、原発いらない!3・11福島県民大集会への大結集から、柏崎刈羽原発の再稼働を許さない闘いへ、県内の反原発勢力の先頭で闘い抜く決意だ。(新潟・K)
2月19日、長崎市内で反核学習集会(NAZEN長崎準備会主催)が開催され、「NAZENナガサキ」がこの場で正式に結成されました。
会場は約40人の参加者で満杯となり、被爆者の城臺(じょうだい)美弥子さんの司会で集会が始まりました。3・111周年の闘いを訴える力強い主催者あいさつの後、藤田祐幸さんが講演しました。
藤田さんは、自ら調査したチェルノブイリ原発事故現場のデータを踏まえて今の福島・東日本の被曝状況を報告し、奪われる住民の生活と命、使い捨てられる原発労働者の現実、原発政策のうそと破綻と利権、核武装政策との一体性を語りました。そして真実を隠蔽(いんぺい)しうそをばらまく政府と電力会社、マスコミを弾劾しました。「昨年の3月11日以降、日本はひとつの戒厳体制の社会になっている。政府と電力会社によって住民の生活と命が奪われ、マスコミは真実を報道していない」。そして「政府と電力会社を変えるためには、行動するしかない。再稼働を絶対に止めることだ。学習会だけやって満足していてはいけない。3月11日にみんな行動してほしい!」と訴えました。
質疑応答の後、主催者からNAZENナガサキの結成が提起され、全体で確認されました。正式に会として立ち上げ、福島現地の闘いと連帯して、被爆地・長崎で「すべての原発をいますぐなくす」ために闘っていくことが宣言されました。とりわけ隣県の佐賀県にある玄海原発の再稼働を許さない闘いを進めていくことを確認しました。そして、3月11日、福島と地元・長崎での闘いに決起することを参加者に訴えました。
3・11福島原発事故1周年を目前にして、長崎でも大きな運動のうねりが開始されています。
(長崎・K)
2012年2月20日発行 第2524号
“すべての原発をとめる”
2・11代々木公園に1万2千人 全国で再稼働阻止へ行動
(写真 集会終了後、デモに出発。「すべての原発いますぐなくそう!」と訴えるNAZENのデモ隊には圧倒的注目が集まり、沿道からの飛び入りが続出した【JR原宿駅前】) 3・11福島原発事故から11カ月目の2月11日、全国で数万人が「・・・
(写真 集会終了後、デモに出発。「すべての原発いますぐなくそう!」と訴えるNAZENのデモ隊には圧倒的注目が集まり、沿道からの飛び入りが続出した【JR原宿駅前】)
3・11福島原発事故から11カ月目の2月11日、全国で数万人が「すべての原発を止めろ!」「再稼働阻止!」「福島の子どもたちを守れ!」と声をあげ、一斉行動を闘いぬいた。東京・代々木公園には労働組合を先頭に1万2千人が結集し、集会とデモ行進を行った。
原子力安全・保安院は大飯原発3、4号機のストレステストを「妥当」と強弁し、再稼働に向かって動きを強めている。2月11日の数万人の全国一斉行動は、これを絶対に許さないという怒りの決起だ。昨年9・19明治公園6万人結集を引き継ぎ、3・11福島県民大集会、7・16の10万人集会(東京・代々木公園)へと、すべての原発を廃炉にするまで闘いはやむことはない。
代々木公園の集会ではまず作家で呼びかけ人の大江健三郎さんが発言に立った。大江さんは「膨大な核廃棄物を後世に残す原発は人類がけっしてやってはならないこと。政府や東電は再稼働を行おうとしているが、私たちは原発を止める決意をした。それを実行に移さなければならない」と、魂から言葉を発した(5面に発言を抜粋)。同じく作家で呼びかけ人の澤地久枝さんは「どんなことがあっても原発を止めなければならない。原発輸出も許せない」と訴えた。
続いて福島から3人が発言した。福島県平和フォーラムの永山信義さんは「『原発いらない!3・11福島県民大集会でお会いしましょう」と郡山市開成山球場への大結集を呼びかけた。小学生の娘さんとともに東京に避難している増子理香さんは「これ以上、福島の子どもに悲しみを負わせないで欲しい」と心からの思いを語った。有機農業者の菅野正寿さんは「生産者も消費者も力を合わせて原発に頼らない社会をつくっていきたい」と表明した。
ひときわ大きな拍手に迎えられて俳優の山本太郎さんが発言に立ち、「再稼働なんかさせるわけにはいかない。もっともっと怒って、もっともっと声を出していこう。即時廃炉しかない」と熱く訴えた。さらにシュプレヒコールを呼びかけ、高く拳を突き上げて「原発反対!」「子どもを守れ!」。会場からも全員が声を張り上げた。
タレントの藤波心さんが「原発はただの時限爆弾。第二の福島をつくってはいけません」と気持ちの限りに語り、「ふるさと」を歌った。呼びかけ人の落合恵子さんは「原発にノーを突きつけましょう」と強い怒りを表明した。
全体集会に先立ち、NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)の独自集会が600人で行われた。冒頭、織田陽介事務局長が「再稼働を阻止して、全原発を廃炉にできる展望がある。あと1カ月闘いぬいて3・11に大結集しよう。その出発点にするために、今日の闘いを頑張ろう」と全員の奮起を促した。富田翔子事務局次長がカンパアピール。全学連の斎藤郁真委員長が決意を表明し、さらに東京北部の青年労働者、神奈川労組交流センターの労働者が発言。最後に、8・6広島—8・9長崎反戦反核闘争実行委の三角忠事務局長が行動方針を提起し、「核武装を阻止する闘いとして闘っていきたい」と強く訴えた。
全体集会後、2コースに分かれてデモが出発した。労組を中心とした部隊は色とりどりの組合旗をなびかせ、新宿中央公園までのコースを歩いた。NAZENの隊列は明治公園までのコース。途中の神宮前交差点一帯はデモに注目する人びとであふれ、歩行者の動きが完全にストップ。「原発なくせ!」のコールはデモ隊列を倍増させた。
2・11の数万人の行動は、政府・電力資本の再稼働攻撃の出ばなをくじいた。2月20日に高浜原発3号機が定期検査に入れば残りは2基だ。再稼働を阻止し、全原発を止めることが現実に可能な情勢をつかみ取った。徹底的に押しまくろう。勝負は3・11だ。持てる力をすべて出し切って闘おう!
3月11日、福島県民大集会に全国から結集しよう!
放射線被曝から命を守れ! 3・11福島集会へ ③
原発いらない!3・11郡山へ
チェルノブイリの真実と教訓
事故と人民の被曝への怒り ソ連が崩壊する重要契機に
(写真 Ci【キュリー】は放射能の古い単位。現在はBq【ベクレル】。1Ci=370億Bq) 真相を隠し「放射能恐怖症」とごまかす 86年のソ連・チェルノブイリ原発事故での被曝の実態、および被曝対策はどうだった・・・
(写真 Ci【キュリー】は放射能の古い単位。現在はBq【ベクレル】。1Ci=370億Bq)
86年のソ連・チェルノブイリ原発事故での被曝の実態、および被曝対策はどうだったのか。政府も御用学者も、チェルノブイリの真実をねじ曲げることで福島の現実をも歪めようと、大ペテンを使っている。とくに”福島はチェルノブイリに比べて放射能は少なく、対策もしっかりとられている”という大デマだ。清水修二・福島大副学長は、ベラルーシの避難基準は「年25㍉シーベルトまで下げるのに2、3年かかったのが、日本は20㍉シーベルトから始まっている」と言い、「向こうで起きたような大規模な健康被害までは心配しなくていい」(産経11年12・15付)などと大うそを振りまいている。
今こそチェルノブイリの真実と教訓から学ばなければならない。まず結論的に言うと、ロシア革命を裏切り変質させたソ連スターリン主義は、チェルノブイリ原発事故とそれへの労働者人民の怒りの爆発をも重要な契機として、歴史的に崩壊したということである。
その上で、独立したウクライナ、ベラルーシなどでは法律上、”年5㍉シーベルト以上は移住の義務、1㍉シーベルト以上は移住の権利”という地平をかちとった。原発事故被曝を強制してあくまで延命しようする体制自体を打倒しないかぎり、放射線被曝から命を守ることはできない。
チェルノブイリ事故では、セシウム137で測ると広島原爆800発分の放射性物質が放出された(図参照)。「旧ソ連の汚染地帯の総面積は13万平方㌔メートル、実に日本の本州の57%に相当する」(七沢潔著『原発事故を問う』96年・岩波新書)
事故が起きたのが4月26日。翌日には10㌔圏内で住民避難、5月2日には30㌔圏内も避難となった。しかし、事故に関する情報は徹底して隠され、「事故が起きて数日のうちに放射能やヒロシマ、ナガサキについての本、レントゲンの本までもが図書館から姿を消してしまった」(スベトラーナ・アレクシェービッチ著『チェルノブイリの祈り』11年・岩波現代文庫)。6月にはソ連政府から「事故に関する情報を秘密扱いにする」との正式命令が出た。
しかし、翌87年には放射線被曝によると見られる多様な病状が現れ、真実の開示を求める声が強まった。これに対しソ連政府は「放射能恐怖症(ラジオフォビア)」と呼び、「あらゆる症状を放射線被曝のせいにする心理状態に陥っているのだ」と非難した(ピアズ・ポール・リード著『こうして原発被害は広がった』11年・文藝春秋)。山下俊一(長崎大教授、福島県立医大副学長)は昨年、「放射線の影響はニコニコ笑ってる人には来ません」と言ったが、ソ連スターリン主義の言い草をそっくりまねたものだ。
しかし、こんなことがまかりとおるはずがなかった。当時、ソ連共産党書記長ゴルバチョフは「グラスノスチ(情報公開)」と「ペレストロイカ(改革)」を掲げて、危機に立つスターリン主義体制を修復しようとしていた。この中で”原発事故被害を隠しておいてどこがグラスノスチなのか”という弾劾の動きが強まり、作家と科学者を先駆としつつ労働者人民の怒りの決起が始まっていった。「87〜88年は低線量被曝に伴う疾病が増加し、ソ連中央政府と共和国の学者との間で安全生活に関する論争が表面化、集会・デモが起き始めた」(今中哲二編著『チェルノブイリ事故による放射能災害』98年・技術と人間、ネットで主要部分が閲覧可能)
早くからウクライナで被災者救援運動を担ったアラ・ヤロシンスカヤさんは次のように言っている。「最初の非登録(つまり非合法)の非政府組織は、86年末から87年初めにかけて現れた」「その団体(名称「ペレストロイカ」)の仕事の一つは、汚染地域で生きる人々の生活について、あらゆる手段を使って真実の姿を広めることにあった。この情報はタイプで打ったうえで、非合法なルートで配布された」「88年に、チェルノブイリ地域で何が進行しているかについて、筆者ははじめて公式に報告する機会を、『プロムアフトマチカ』工場労働者の集会でもった」(同)
チェルノブイリ事故の真実を伝えるために最初は非合法で始めた運動が、工場労働者の公然集会にまで発展していった、という貴重な証言である。
また、87年末にはウクライナで、綱領の主要題目を「原子力反対」とするグループ「緑の世界(ゼレニ・スヴェト)」が結成された。30人で始まったこの団体は翌年には50万人に膨れ上がった。スターリン主義支配下のウクライナの反体制運動の中心は、この「緑の世界」と「ペレストロイカを支持する国民戦線」だった。「1989年の秋、『緑の世界』は原子力反対の大衆デモをキエフ(ウクライナの首都)でくりひろげ、結局、90年春にはゴーリキー、アルハンゲリスク、カレリヤ、イワノワ、タタリア、ロストフでの原子力発電所の建設あるいは増設計画が放棄されることになる」(前掲『こうして原発被害は広がった』)
バルト3国やベラルーシの独立運動でも、綱領冒頭に原子力反対が掲げられた。88年にはリトアニアで、作家、画家、科学者、大学関係者ら5千人が集まって「サユディス」という運動を開始した。この運動も「民主的選挙」などとともに「原子力反対」が主要スローガンで、同年9月にはイグナリーナ原発を20万人で包囲し、「3号原子炉の建設作業を中止させようとした」(同)。
こうした人民決起によって、89年の5月と9月のソ連科学アカデミー幹部会で、前年にソ連放射線防護委員会が出した「生涯350㍉シーベルト限度」を否定する重大な結論に達した(別掲)。①安全な被爆量はない、②低線量被曝の影響は正確に予測できない、③安全を保証できなければ移住すべき、④十分な情報を出して移住するかどうかは各自判断できるようにする、という内容だ。ソ連科学アカデミーという国家機関の中枢、理論・思想にかかわる最重要機関で、スターリン主義体制が瓦解(がかい)していったのだ。
冒頭で福島大副学長の清水が言っているのは、86年5月にソ連放射線防護委員会が出した年100㍉シーベルトの規制(NRS−76/87)を指している。そこでは、翌年は30㍉シーベルト、翌々年は25㍉シーベルトと設定された。しかし、そんな設定を吹っ飛ばす人民の決起が起きた。
現に90年6月には、ソ連政府が被曝限度1㍉シーベルトという新しい政令を出すまでになった。91年2月にはウクライナが「汚染地域の定義」という法律を可決し、同年末のソ連解体を前後して独立した各共和国の法律にもなっていった。それが、年5㍉シーベルト以上は強制移住、1㍉シーベルト以上は移住の権利、1㍉シーベルト未満は放射線管理強化区域という規定である。
86年から91年までにソ連政府が支出した事故対策費は250億ルーブル(約6兆円強)と言われる。しかし、独立した各国は、法に基づく対策を実施できる経済力・財政力がなかったばかりか、反原発運動の著名な人士を大弾圧し、抑え込みを図った。
一方、米日を始めとする国際帝国主義は当初はソ連側の被曝基準を支持したが、IAEA(国際原子力機関)の国際諮問委員会(重松逸造委員長)が進めた「国際チェルノブイリ・プロジェクト」の論議と報告(91年5月)では”ソ連の被曝限度は低すぎる”という立場に転じた。
原発事故と被曝への人民的怒りをも重要な要因としてスターリン主義体制は崩壊した。しかし、今もロシア、ウクライナ、ベラルーシの3国で法律で定められた汚染地域に住む人は計500万人にも上る。住民の内部被曝は続いている。〈チェルノブイリ〉は終わっていない。フクシマの闘いは、チェルノブイリの教訓を引き継ぎ、原発再稼働を阻止し、全原発を廃炉に追い込む歴史的な闘いである。
(島崎光晴)
---------------------------------
①一般的に受け入られている、しきい値のない線量・効果関係に基づくと、絶対的な安全な被曝量というものは存在しない。このことを考えると、350㍉シーベルト限度の”安全生活概念”はしかるべき根拠の基に修正されるべきである。
②これまでのデータに基づくと、低レベル(低線量)の慢性的被曝(一生の間に0〜1000㍉シーベルト)の影響を正確に予測することは不可能である。
③”生涯350㍉シーベルト”は、それを超える被曝がとうてい容認できない限度とみなされるべきである。生涯線量が350㍉シーベルト以下の汚染地域では、……もしも、対策によって住民の安全が保証できなければ、移住が実施されるべきである。
④住民に対しては、汚染地域で居住することの影響や政府の対策について十分な情報が提供され、汚染地域に住み続けられるかどうか自ら判断する機会が与えられるべきである。
①無条件に強制移住の区域
個人被爆量が年5㍉シーベルト以上
②移住の権利の区域
個人被爆量が年1㍉シーベルト以上
③放射線管理強化区域
個人被爆量が年1㍉シーベルト未満
……………………………………………
*法律では各ゾーンについて「土壌汚染 密度」も記されているが略した
*出典:今中哲二編著『チェルノブイリ 事故による放射能災害』
この地に生き闘いぬく 福島の労働者と農民の訴え 3
連合傘下労組から3・11へ
NTT労組福島分会組合員 福島県労組交流センター代表 渡辺 馨さん NTTから子会社化されたNTT—MEという会社で、通信技術のメンテナンスの仕事をしています。 「原発いらない!3・11福島県民大集会」をめぐっ・・・

NTTから子会社化されたNTT—MEという会社で、通信技術のメンテナンスの仕事をしています。
「原発いらない!3・11福島県民大集会」をめぐっては、真っ先に取り組みを拒んだ連合福島の重しを吹き飛ばして、連合傘下の労働組合の労働者が大挙参加していくことが最大の課題だと思っています。
今まで電力資本と並んで原発を推進してきたのが電力総連であり連合です。一昨年8月に福島第一原発3号機にプルサーマルが導入された時も、県議会でそれを推し進めたのは電力総連とNTT労組の出身議員でした。
NTT労組はこれほどの大事故を経験してもなお原発にはまったく反対しない。それだけではありません。2月10日に開かれたNTT労組中央委員会の議案は、東日本大震災が起きたことは書いてあるけれど、「福島第一原発で事故が起きた」という事実すら書かれてない。まさに抹消です。
あまりにもひどいので、中央委員会と東北地方選出の中央委員に「NTT労組として、①すべての原発をなくす、②政府と東電にすべてを補償させる、③原発立地自治体の自立を妨げる電源三法を廃止する、という運動方針を掲げるべきだ」という意見を送りました。返事はなかったけれど、この組合の現実を職場の仲間に伝え、「こんなNTT労組を現場から変えよう」と訴えて団結をつくり出すための闘いです。
日本電信電話公社が1985年に民営化されたのと同時に、労働組合が全電通からNTT労組に変わった。それまでは県内に十数個の分会があったのに、県下すべてを一つの福島分会にして、現場から交渉権も奪った。現場労働者を闘わせないためです。
組織率は100%、組合費は無条件に天引きされているけれど、今では現場組合員は誰が組合役員なのかも知らない。組合が見えない。組合が原発反対運動に取り組まないことに不満を持っても、文句を言う相手もわからない。私が職場でビラを配ると、当局が「当局批判は構わないが、組合批判のビラは配らせない」と言ってくる。それほど労資一体です。
職場では原発への怒りは強い。正確な情報がないことにみんないらだっている。高線量の福島市渡利地区や大波地区に住んでいる人もいる。除染作業に効果がないどころか、除染してもますます線量が上がることもみんな知ってしまった。さらにその除染作業で大手ゼネコンが金もうけしようと手ぐすね引いていることも見えてしまった。
被曝労働との対決も切実なテーマです。職場では「原発20㌔圏内には絶対に入らない」と決めたけれど、実際、「故障だから行け」と言われるわけです。第一原発から約5㌔のところに、原発の全情報を集中していたオフサイトセンターがある。3・11以降立ち入り禁止になり、夏までは全情報をNTTの衛星回線を通して県庁の災害対策本部に送っていたけれど、スピードが遅すぎるため、1回突入してシステムを変えることになった。誰が行くのか。いったんは全員が拒否した。だけど当局には装置を修理できる人がいない。修理できるのは結局、現場労働者です。結果、若い人は絶対に行かせてはならないということで55歳以上の4人を選び、管理者約10人くっついて行って作業しました。
自分も一度、第二原発から15㌔地点に行って仕事をしました。第二原発周辺のモニタリングポストや、そこで収集した情報を送る光ケーブルが津波で全部流された。それがないと原発の正確な状況がまったくつかめないため、つくり直す作業です。これも現場労働者がやるしかなかった。こういう切実な現状に直面しているから、誰もが原発のことに真剣に向き合わざるを得ないんです。
3・11をとおして、腐敗した労働貴族をひっくり返す力をつくり出したい。重しはすごく重いけれど、誰もが原発に反対したいと思っている今を、NTT労組のこの現実をひっくり返すチャンスにしたい。
9・19の6万人結集を実現した核は労働組合です。3・11でも組合旗を林立させましょう。私も自分の職場から3・11への参加を実現するために頑張ります。福島でも全国でも3・11に向けて、生きるための労働組合拠点づくりを進めて、ともに頑張りましょう。
郵便局の集配課で働いてます。バイクで郵便物を配達する仕事で、1日6〜7時間ぐらいは屋外にいます。
放射線量が一番高かった3・11からの1週間で、ものすごく被曝させられました。3月15日ころの空間線量は毎時20マイクロシーベルト以上。その中で1週間、ガソリンがなくてバイクが使えず、自転車で走り回って配達していました。
会社がやったのはマスクの配布だけです。1日だけ、「危険性がわからないから、配達を切り上げて家に帰っていい」と指示したけれど、翌日には、前日より安全になったわけでもまったくないのに、通常通りの配達が再開されました。
その週は「3時までに配達を終えて局に戻れ」と指示された。周りの会社はほとんどやっていなくて、郵便物も少なかった。配達しても意味がない郵便物も多かった。配達時間はもっと短縮できたはずです。
「雨が降ったら屋内に避難しろ」という指示もあった。だけど自転車で配達しているわけだから、雨が降り出したら、結局はぬれなければ帰れない。めちゃくちゃな指示です。
3月は水も食べ物もなかったから、自分は自宅のすぐ近くの実家で暮らして、親戚(しんせき)の学齢前の子どもたちも一緒でした。1週間ぐらいは水道が止まって洗濯もできないし、風呂も入れなかった。外で働いてきた自分が家に入ると、自分の持ってきたやつ(放射性物質)が子どもたちに移っちゃうと思って、自分よりもその子たちのことが心配でした。
上司には何度も言いました。「今、勤務時間を1時間短縮したら、のちの何日分にもなりますよ」「友達の会社では営業で外回りしている人に線量計のバッジを渡した。おれたちはずっと外で働いているのにバッジも配らないのか」とか言ったけど、「国を信じるしかない。今は上で話してるところだから」と言うだけで、何もしない。
秋になってから、内部被曝量を測定するホールボディカウンターを受けました。でもセシウム134と137だけで、一番深刻なストロンチウム90やプルトニウム239は測れないんです。結果は134と137を合わせて1000ベクレル、体重1㌔あたり20ぐらい。「ああ、やっぱり体の中に入っているんだな」と思いました。「おれが野菜だったら出荷停止か……」みたいな。
普段は原発のことなんか話さない同僚も、被曝のことはみんな考えてます。だから自分が測定を受けたことを話したら、計測を受けに行った人もいます。
自分が配達している地域は今も毎時1マイクロシーベルト以上。自宅のある場所も線量は高い。ニュースで「東京にホットスポット」と言われても、「自分はそれと同じ線量のところに毎日寝てるから」って感じです。
会社にはせめて「線量計を全員に配れ」と言いたい。労働組合が被曝についてどういう取り組みをしているのかは、全然見えない。同僚で線量計を求めた人もいるけど、会社は動かない。そういう人たちはいざ本当に被害が出ても「原発に関係あると証明できない」と開き直るんでしょうね。
政府・東電がこの11カ月やってきていることはすべておかしい。率直な話、ここまでひどい国だとは思ってなかった。
3月ころはまだ県に言えば何か動いてくれると思っていたから、県に「これだけ線量が高い中で外で働いているんですけど」と言おうと思って、放射能専用の電話に1週間かけ続けた。24時間通じると書いてあったけど、結局、夜中3時でもつながらなかった。
今はもういろんなことが見えてしまって、そんな期待もしなくなった。「佐藤雄平県知事も福島市の瀬戸市長も、よくまだ誰にも殺されてないな」と思うぐらいみんなの怒りの的です。
現場に実際に身をおきたいと思って、経産省前テントの座り込みにも行きました。
県外のみなさんはなかなか実感を持てないかもしれないけれど、福島の現実を「IMAGINE」して欲しい。水もだめ、空気もだめ、土もだめ、食べ物もだめ、全部だめになってしまった。全国どこにでも原発はあるし、事故はどこでも起きる可能性がある。原発をなくすために力を合わせましょう。
前進社 〒132-0025 東京都江戸川区松江1-12-7 週刊『前進』・毎週月曜日発行
2000年6月5 日公式サイトzenshin.org開設 2008年3月17日速報版サイト開設.



