
(写真 69年6月5日、2万人が全面24時間スト突入!各ゲートで銃剣を構える米兵とピケ隊が対決)

(写真 宜野湾海浜公園に12万人が集まった07年9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会。軸は教労や自治労の組合員)

(写真 沖縄の米軍基地 日本の全面積の0.6%の沖縄に今も在日米軍基地の74%が集中している)

(写真 昨年5月14日、「原発なくせ! 基地なくせ!」と那覇国際通りを労働者・学生がデモ)
今年、沖縄は「復帰」40年を迎える。1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約によって沖縄はアメリカ軍政下に置かれた。戦犯天皇ヒロヒトが自らの命乞いのために沖縄を売り渡した結果だ。島ぐるみの復帰闘争から70年安保・沖縄決戦の爆発の中での72年5・15沖縄「返還」は、しかし日米安保体制のもと、米軍基地を存続させたペテン的なものだった。以来「沖縄奪還! 安保粉砕・基地撤去!」をかけた沖縄闘争が闘い継がれてきた。世界大恐慌と原発事故の中で迎える5・15闘争への意気込みを、階級的労働運動再生へと闘う沖縄の労働者に語ってもらった。(編集局)
被災地・福島の怒りと結合し 闘いの核心をつかむ
●A(NTT労働者)
世界大恐慌下、反原発・反失業で闘いぬいた昨年を振り返って、一番大きかったのは6・19福島現地行動にBさんと2人で参加したことです。僕が沖縄労組交流センターののぼりを担いでいると、地元の女性から「沖縄からも来てるんですか」と聞かれた。全国から福島に結集して怒りを行動で示した歴史的瞬間に立ち会えたと感動しました。この感動で11月まで上り詰めた。
●B(元基地労働者)
私は19、20歳から米軍基地の中で働き、40年以上、労働運動をやってきた中で、自分個人としても大きく、いい意味で変わった1年でした。
ちょうど1年前、朝鮮半島情勢が緊迫する中で、日本の、特に労働運動がどう闘うのか、動労千葉の運動と結びついて闘う組織を沖縄でつくって勝負をするんだと確認をしました。同時に沖縄米軍基地の再編問題がクローズアップされて、沖縄の基地労働者に犠牲を負わすという攻撃が出てくる。基地の中に闘うリーダー、若いリーダーが必要であり、一緒に闘っていける組織づくりが必要だと切実に感じていました。
そういう中で起こったのが3・11です。福島第一原発が爆発し、放射能を日本中に、世界中にばらまいていく。そこで私が直感的に思ったのは、福島の人たちは今までどうしてきたのか、どうなるのかな、ということでした。なんとしても福島に行きたいと思いました。
国鉄全国運動が鍵
●B 6・19集会に参加し、交流して分かったんですが、原発はやはり国策として押しつけられたものでした。
それがきっかけで、沖縄で動労千葉を支援する会の運動を広げたいと思って、基地の中に動労千葉を支援する会の運動を立ち上げたいと提案しました。そしたら、動労千葉を支援する会、大いにいいんじゃないの、やろうとなって立ち上げることができました。そして11月集会にも行きましょうと賛成してくれました。そして複数の現職の沖縄基地労働者と一緒に参加することができました。これが大きな、私の2011年の闘いの締めくくりになりました。
●A 11月集会は沖縄からの参加者も増えて、これまでの壁をぶち破った。これを可能にしたのはなんと言っても3・6「国鉄闘争全国運動・沖縄」の結成でした。呼びかけ人でもある崎浜秀俊さんも参加しました。NTTでも4月26日に「動労千葉支援する会・電通沖縄」を結成したんですが、これが電通職場での動労千葉物販が夏冬20万円を突破するという実績につながった。さらに職場を軸にした動労千葉物販の強化に力を入れていく決意です。
●C(南部合同労組)
3・11が起こった後、被災地で闘っている交流センターを始め、被災地の労働者が毎日何を考え、何に怒り、何とぶつかりながら闘っているのか、分かるようで分からなかった。昨年5・15闘争で沖縄に来てくれた被災地の同志たちの発言を聞き、実際には心休まることもないだろうに、被曝を覚悟し、地元で踏ん張っていくという気迫、闘いの原点をつかむことができた。世界恐慌と革命情勢が現実化する中、国鉄闘争全国運動で原則的に階級的労働運動を甦(よみがえ)らせようと闘ってきたわれわれは、揺るぎなく闘っていると確信した。
●D(北部合同労組)
3・11大震災が起きて、津波が襲ってくるのをテレビで見た。NHKには「挙国一致」という文言が出てきて、私たちはどうなるのか、関東大震災の時のように「非国民だ」とつぶされるかもしれないと危機感を持った。数日後、動労千葉の声明が出て生き返った。党の声明を読んで力がわいてきた。党が生きることで自分も生き続けるんだと。
3・11事態にみんな怒りを持っている。けれどその怒りが形にならない。それを党が被災地の東北でも、東京でも、学生戦線でもやった。国鉄闘争、反原発・反失業の闘いを大きく切り開いて勝ち抜いてきていると実感できる。
●E(専門学校生)
今、専門学校に通って保育士を目指しています。原発の事故が起こって、反原発署名に取り組んだ。クラスの子たち全員に話して、署名を書いてもらうことができました。みんな高校を出たばかりの18〜19歳です。沖縄の若い人たちはみんな原発に反対だって分かりました。私も頑張っていきたいです。
●F(南部合同労組)
病気になってから長らく行けなかった11月集会に昨年は参加しました。世界の労働者が注目する中で日本の労働者が反原発・反失業で闘っていることをはっきりと示すことができた歴史的な集会だと、私はものすごく感動しました。
●G(北部合同労組)
3・11の被災地をカモにして「復興特区」にするという話になっている。結局資本というのは人の弱みにつけ込んで、被災した労働者人民を骨までしゃぶろうということだ。これは沖縄では「経済特区」として強制されている世界だ。
党の飛躍問われる
●H(北部合同労組)
この1年間、沖縄の闘いが去年の5・15闘争からどう変わったのかということで総括したい。大きく変わった。一つはNTTの非正規雇用労働者の労働組合の問題。組合が「解散」という事態を前にして、どうやって前に進むのか。そこから必死にもがいてきた。そのもがいてきたことが実はものすごく決定的だった。さらに3・11という衝撃があった。この両方と向き合うことを通して基地建設を止める、職場の闘争を発展させることが求められたんだと思っている。そのために何がなんでも職場の中に入って、なんとか仲間をつくろうとしてきた。
●A NTTの非正規雇用労組の再建も決戦です。プロレタリア革命に向かって労働運動を組織できる党になることが問われていたんだと総括しています。
昨年10月、当時の労組執行部があまりの重圧で闘えなくなったことは、当然、当局もNTT労組も知っている。元の組合員たちが新しい職場を希望したら全部落とされた。それで行きたくない職場に無理矢理に強制配転されるという攻撃がかかってきている。NTT本隊の労働者にこの悔しさを聞いてもらいたいと。今まで組合があったのがなくなって、一気に攻撃が出てきた。これは動労千葉の中野顧問が言ったように「必要な時にそこに組合がある! 必要な所にそこに組合がある!」という問題だと思います。それと田中委員長が「労働組合は闘うための共同体だ。だけどそれは手段としての闘争組織ではない。労働者が労働組合に団結し、闘うことを通して労働者としての誇りを取り戻していく」と言っている。これを自分たちの血肉として闘うことだと思います。
●H 3・11以後、本当に労働者の意識が変わった。労働組合をやろうと話をすると、なかなかやりたいとならない仲間でも、この原発だけは許せない、ふざけるなという意識を持っている。基地建設だけは許せないとかね。実は根底にあるのは同じ怒りなんだというところで労働組合をつくっていく必要がある。少なくともその中で何人かは労働組合をともにつくろうと言ってくれている。職場に組合をつくるという中に、一つは外注化問題、非正規職問題、総じて大失業攻撃との闘い、もう一つは、労働者の力で基地建設を止めていく、原発を止めていくという闘いがある。そういう内容で職場の仲間をオルグしている。
70年全軍労闘争の経験を生かす 職場に労働組合を!
●H 職場で組合をつくろうと持ちかけた時に一番初めに議論になったのは基地問題だったんです。労働組合って何のためにつくるのかと言ってくる。当たり前ですけれど、ぴんとこないと。僕らはそれに対して労働組合は次の社会をつくる組織なんだと言い返した。だとしたら次の社会って何なんだ? 非正規職化され、労働組合を知らないという中でものすごい絶望に突き当たってきた。労働組合を見たこともない。
だから非正規職化との闘いというのが、基地あっての沖縄、会社あっての労働者という考え方そのものとの闘いになる。このイデオロギーと闘うことによってしか沖縄の労働組合はいかないし、基地問題もいかない。沖縄で労働組合を復権していく闘いの中で、沖縄の基地問題も解決していく闘いになっていくんじゃないか。復帰前から続いてきた沖縄の闘いは、闘いを通して、誇りを持った労働者が基地を撤去しろと闘ってきたんだと。それを僕らがもう一度やる、この時代情勢の中でやることに確信を持っている。それは原発を抱えた地域でもそうだし、全国どこでも、みんな同じ意識と闘っている。
毎日、一見無駄だと思えるようなことをいっぱいやっている。誰かと茶飲み話をして、きょうもなんかつらいねとか、子どもが風邪引いたとか延々と繰り返す。関係性を毎日つくっていく。そういうものとして労働組合がつくられていく。そういうことを地道にやってきたのが動労千葉の闘いだろうと。
●B 日々、弁当食いながら、家庭のこと、子どものことを話しながらつき合う。この活動、すばらしいと思います。歴史は変わってもここが労働組合の軸であり、そこは変わりません。
全軍労闘争の時代もそうでした。労働者は必ず、なぜと聞く。どうしようかと不安な気持ちが強い。基地労働者も始めから闘えたわけではありません。69年までは労働者は基地の中で意見も言えない状況だった。米軍人や軍属、監督者の言うことを聞かないと排除され、収入を得ることができなくなるからです。
全軍労で最初に行動を起こした時、歴史的な話ですが、「賃金を上げろ!」と書いた白いハチマキをした。先輩たちが「私はやるが、お前はどうする? 一緒にやるか」と聞くんですよ。アメリカがベトナム戦争で敗退してきてお金もなくなった、軍事予算も削られる。1万人も基地労働者が余った。組合も半分突破されそうになっている。首になるぞと言うんです。基地に反対してどうするか、飯が食えないという話が出て当然でしょう。しかし労働者は労働組合をつくって、そこにリーダーが出た時に一気に動く。一人のリーダーがいるか、いないか。そうすれば、戦術とか取り組みは労働者が生み出すんですよ。
今年、沖縄米軍基地の再編問題が具体的に動いてくると私は思います。基地の中にもMLC(基本労務契約)と、IHA(諸機関労務契約)という職種でくくられて採用されている労働者がいる。いまHPT(時給制臨時従業員=「必要ある場合に限り、臨時的業務を行うため、又は常用される職員を補助するために1年をこえない期間雇用されている時給の従業員」)という労働者が移動させられている。歴史的に労働者の移動がある時は基地で大きな動きがある。
特に米軍の動きとして中国を軍事的に封じ込めていくという政策がとられている。米軍基地の再編が進む中で、基地の中から労働組合が行動を起こすとしたら、米軍にしても日本政府にしても許せることじゃない。いろんなことを口実にして賃金カットや権利剥奪、労働組合破壊攻撃が起こってくるだろう。
しかし、今の全駐労、連合傘下の既成指導部では対応できない。それで自分たちが経験した70年代の牧港支部青年部(牧青)の闘いの教訓を少し話したい。
青年がリーダーに
●B ベトナム戦争を遂行するためにもっと基地労働者が必要だと採用していったら、そこに青年労働者が入ってきた。その中から、このままでは自分たちの未来と将来がどうなるか、これをなんとかしたいという青年たちが出てきた。基地労働者の中に「全軍労反戦委員会」という組織が立ち上がった。当時の全軍労の役員たちは反戦青年委員会はいいが、全軍労という言葉を使うなとやりとりをしているのを聞きました。まだ青年部はありませんでしたが、この組織が青年労働者に影響を及ぼしているのを気づいていたと思います。
大量解雇に対して、自分たちが解雇になる。そしたら「軍事基地を撤去しろ!」、だけど「解雇も認めない!」と。よく矛盾していると言われましたが、当時の青年労働者、基地労働者が自分たちの現状と、今後の生活のためにどうしたらいいのかと立ち上がったのが、あの全軍労闘争だったと思います。
その全軍労闘争、当時5千人の組織だった牧港支部は37日間の長期ストライキをやりました。あの長期ストの中で指導部が全員逃亡した。それにとって代わって時の牧港支部青年部がリーダーとなって牧港支部を運営したという歴史があります。その牧港青年部を組織したのは22〜25歳の青年労働者たちでした。当時22〜23歳の私も含めて多くの青年がリーダーとなって牧港支部を運営したんです。
●I(中部合同労組) 私もかつて全軍労牧港青年部にいて、基地内デモなど実力闘争を闘いました。自分たちがこの世の中を変えようと意気盛んに70年闘争を闘いました。今でもその熱意は変わりません。
また私は70年12月20日未明に起こったコザ暴動にも参加しました。当時、米軍による事件事故が多発し、ひき殺されたりして沖縄の怒りが爆発したのだと思います。
●B 今後起こるであろう沖縄米軍基地をめぐる闘い、いま沖縄に9千人いるという軍事基地労働者、これをリードする方針と展望、沖縄県民、具体的には基地労働者をどうしていくか。そこに青年労働者の中にリーダーになるべき人をつくりあげたい。それが勝利する道だと思っています。
「生活を守るために基地は必要だ。米軍が引いたら沖縄はどうなるか」というイデオロギーに対し、全軍労反戦は「違うんだ!」とビラに書いた。この全軍労反戦に、次第に若い人たちが組織されて、あの全軍労ストライキになった。
白いハチマキが赤いハチマキになり、銃剣にもひるまずに血を流しても引かない姿を見せた。
銃剣を構えた米軍と対峙した時、先輩が「固まれ!」と叫んだ。自分が前に出るから「固まれ! 固まれ!」「動くな! 固まれ!」ということだったと思いますよ。なぜ引かないで、銃剣の前に立つのか。やはり組合を守るということだったと思います。そこで私はこの先輩たちについて行こうという気持ちになりました。この時のリーダーが革共同の影響を受けた全軍労反戦青年委員会だった。この時のスローガンが「労働者は死んではならない。死すべきは基地だ!」でした。
●J(民間労働者)
71年の毒ガス移送阻止をストライキで闘った牧青の闘いは、動労千葉の運転保安闘争、動労水戸の被曝列車阻止ストライキにつながる闘いです。1969年7月、知花弾薬庫内に毒ガスが貯蔵されていることが発覚、早期撤去要求は県民ぐるみの闘いとなりました。やっと撤去へと動き出した時、安全・人命無視の強行移送に反対し弾薬庫で働く基地労働者500人がストライキで闘った。このストは全軍労本部と支部指導部の制動を跳ね返して牧青が単独で決行した。労働組合が自らの命と雇用、地域住民の命と生活を守るために闘ったのです。
●G 沖縄の青年労働者の圧倒的多数は非正規の労働者で、この間、ずっと僕も辺野古闘争に関わってきて、振興策と基地建設についていろんな論議があったんですが、実際に働いてみて分かった。
結局、振興策で名護の労働者、沖縄の労働者が生きていけるのか。この資本主義、新自由主義の世の中で生きていけない。1カ月先には首を切られるのかもしれない。これが振興策の実態だったわけです。そこに労働組合を対置して闘うことでしか、沖縄の現実も変わらない。このことをしっかり据えて今年もがんばっていきたい。
階級的労働運動の拠点建設へ 動労千葉物販の威力
解雇撤回貫き25年
●K(NTT労働者)
大恐慌になって大失業時代になっているが、わが同志たちは全員、職場で元気に闘っている。2012年の沖縄における階級的労働運動の発展という観点からしたら、各職場でいかに細胞を増やすのかということが最大のテーマだと思っています。
動労千葉の物販を新しい人に増やしていきたいとやったんですね。何を言ったかというと、動労千葉が25年も解雇撤回を闘って、なおかつ、その国鉄分割・民営化から始まった新自由主義攻撃と非正規職化の現実を訴えた。そうしたら労働者は動労千葉の闘いが正しいんじゃないかと物販を注文してくれた。それで圧倒的な労働者が結集するという確信をつかんだんですね。自分の労働組合、職場全体、圧倒的な労働者を獲得する壮大な展望をもって、動労千葉物販運動、国鉄運動を展開するのが2012年の目標じゃないかと思っております。
●J 動労千葉の高石正博さんが年2回、沖縄に来てくれます。宮古にまで一緒に行って労組を回っています。労組ではNTT、自治労とともに高教組(沖縄県高等学校障害児学校教職員組合)にも取り組んでもらっています。教科書問題で9・29沖縄県民大会12万決起を実現した07年、この激闘の過程の中で高教組が動労千葉物販に取り組んでくれた。これが本格的な取り組みの最初。昨年は5年目になるが、この2年くらいは取り組んでくれる分会も注文額も増えてきた。夏冬の2回の動労千葉物販が組合の中に定着してきている。「千葉の組合ね」という反応や、「『とてもおいしかった』と評判です。国鉄動労(ママ)の方へ、頑張って下さい。○○分会」という激励も。あるいは「○○がおいしかった」という口コミで物販に協力してくれる組合員などなど。また、昨年は本部から物販への取り組みの強化という指示が出されたそうで、「自分は動労千葉を支援する会なので、協力して欲しい」という呼びかけがなされた職場では多くの組合員さんが物販を購入してくれました。
党と労組の結合を
●C 動労千葉労働運動を軸に沖縄の労働運動の主流派へと言うことですが、現在がその過程にあると思いますし、やっぱり職場の攻防で組合を立ち上げ、あるいは組合結成をめざして闘う中で、『前進』を労働者の仲間に提起し、購読者として維持していく。この闘いは、対象変革と自己変革、常に自分のあり方が問われている。
特に『前進』については毎週毎週、『前進』を渡して解説するなり、オルグするのは大変なことだ。うまくいくとは限らないが、こちらの本気さが労働者の怒りを引き出していく。特にその心棒として国鉄闘争全国運動があり、動労千葉の闘い、あるいは具体的には物販闘争がある。
●H 党建設問題と労働組合の活動家をつくると言う問題は意識として同じなんじゃないかと思う。それはマルクス主義を学んでいるうちに、マルクスを勉強することは党建設と活動家をつくる、まったく一緒だなと、僕自身も今やっと分かった。
だからこそ組合をつくろうと話すのと同時に党の話を労働者にした。飛躍しているという話もありますが、あえて提起していく。そこから考えてもらおうと僕自身が踏み込んだ。
そのためには『前進』を読んで、マルクス主義を勉強する。隣の労働者を信じて闘って、仲間をつくるためにどうしていくのか悩み続ける。人を育てる立場に立って、労働組合をやっていきたい。
●I 今、階級的議会活動を展開しながら、階級的労働運動の復権を目指して頑張っています。
国鉄闘争全国運動を立ち上げた2010年6月の全国集会に参加して、4・9政治和解という情勢に対決し、全国で沸き上がる国鉄闘争全国運動の高まりを感じました。それで"国鉄闘争の火を消すな!"ということで頑張り、沖縄で「国鉄闘争全国運動・沖縄」を立ち上げ団結しています。労働者が生きるために闘わないとこの世の中は変わらない。
●J 2010年9月の宮城盛光さんの北中城村議会議員選挙は、4・9政治和解との対決の中で保育所民営化反対を掲げて闘い、勝利した。これが決定的だった。盛光さんが呼びかけ人になって沖縄での国鉄闘争全国運動の立ち上げにつながりました。
●I 地域における活動として、今、村長、権力側が保育所の民営化を進めようとしていることを議会で取り上げ、積極的に闘いを展開する中で地域の労働者、現場の保育労働者とともに頑張っています。3月が保育所問題の決戦になっています。
その中で、『前進』購読の拡大もがんがんやっていく。昨年、新たに『前進』の定期購読者になってくれたのは、私の母親のような年齢の女性ですが、「頑張っているから協力したい」と読者になってくれました。新年号を渡すと「いいね」と感想を話してくれました。この新聞は大事であるから持ち歩いてがんがん広げていきたい。
●L(中部合同労組)
保育所民営化反対を宮城盛光議員と一緒に闘っています。ついこの間、中部合同労組に労働相談がありました。彼女の相談は12月に仕事に来なくていいと休まされたが、この給料が出るだろうかという相談だった。こちらが構えて会社に乗り込んで行ったら、「金を出す」と。しかし、解雇通知があった。1月31日で不当解雇です。その解雇理由が仕事ができないとか、怠けているとか。絶対に許せません。本人と一緒に闘いを組もうと思っています。
●M(南部合同労組)
新年号で産別委員会のことが提起されていました。僕は産別は建設、職種ははつり(解体作業など)です。破壊するという意味です。そこで工場細胞をつくって産別委員会を組織していこうと解釈しています。自分の職場には定年退職制度はなくて、最古参が70歳、一番若い新人で24歳という幅広い年齢層です。そこで労働組合を結成したいと思っています。活動方針は、最低賃金保障と一時金の獲得というのが自分の考えです。
●C 彼がやっている業種、はつりは並大抵な職場ではない。本当に骨身を削る職場です。その中でM同志はリーダー格として闘っている。合同労組を含めて、建設労働者の産別建設をどうするのかの議論が必要です。現場は頑張っている。それを後押しする党の力が必要だ。組合の力として結実させたい。
障害者は労働者だ
●N(自立労組)
障害者施設にいます。戦後、傷痍(しょうい)軍人の施設として始まり、伝統的な共同体でしたが、今日に至って、自立支援法との絡みでグループホームの移転問題になりました。それで昨年9月に電撃的に労働組合をつくりました。
組合員の対象は入所している人と職員です。主要な要求は「グループホーム撤廃反対」と「非正規職撤廃」です。グループホーム撤廃は民営化、外注化であるから反対です。支援してくれる職員とともに非正規職撤廃も要求しています。
●J 厚生労働省の通達では彼のような障害者は労働者ではないことになる。
●N 実際に労組結成大会をやろうとしたら圧力をかけられたんです。
われわれ障害者をも食い物にする新自由主義、生存権を奪う新自由主義に対し、われわれ障害者も労働者であるから労働組合を結成して新自由主義と対決する。まだまだ軌道に乗っているわけでもないですが、労働者階級の一員として新自由主義と闘う勢力として労働組合の団結を固めて頑張っています。力を蓄えて沖縄労組交流センターに加盟し、11月集会に結集したいと思います。
●C 重要なのは、労働者は労働組合という団結形態をもって、すべてを総括できるということです。障害者解放運動は労働者階級の基本的なテーマです。障害者自身が労働者としての自己解放を求めて闘っている。県党の新たな息吹をつくり出しています。
新自由主義と闘い安保粉砕へ 辺野古新基地を阻む
●O(民間労働者)
今、辺野古新基地建設をめぐって、既成の政党や労組幹部は県外移設という形で動いていますが、この問題についても労働者階級の問題だと思います。例えば、基地労働者が基地の中から米軍の再編と基地労働者の大量解雇攻撃に対して解雇撤回闘争に立ち上がったら、彼らが言っている基地の県外移設、国外移設だとかの論は、それだけで完全に粉砕されると思うんです。
だから鍵は労働者階級だ。労働者階級が自らの職場を基盤にして、そこから闘いに立ち上がる。70年安保・沖縄闘争で沖縄の労働者階級が闘い抜いた安保粉砕・基地撤去をもう一度甦らせることができる。
●G 辺野古をめぐっては、年末に野田政権が環境影響評価書を押しつけてくるという形で、辺野古の基地建設をやるんだと、沖縄を踏みにじるぞということを表明してきた。だけどもやっぱり腰が据わっていない。結局ピケを張られて、夜中にこそこそと置いていくという形を強制された。そういうことを見た時に、何が規定しているのか。向こうは基地建設に踏み込んで機動隊から海上保安庁、自衛隊まで動員したが、結局、沖縄の労働者と全国の阻止行動、反対運動によって実力でぶっ止められた。それが彼らをとことんまで追い詰め、日米関係がぶち壊れるところまでいった。
そういう中で、命を守る会の事務局だった富田晋くんを、権力と非妥協に闘うということをもって辺野古からパージするということが起きた。そこが分岐だった。
僕らは階級的労働運動の力で辺野古の基地建設を止めるんだという旗を掲げたわけです。その正念場に来ていると思います。僕らも海上のやぐらにしがみついて海上保安庁と闘った。それから自分の職場に戻って、新しく就職した人もいるし、僕ら青年労働者は労働組合の中で新しく闘う道を選択した。そこで辺野古闘争もやるんだと。まだまだ道半ばですが、今後の沖縄闘争の中でどこで責任をとるのかと言えば、沖縄に動労千葉のような闘いを実現する。動労千葉と三里塚のように闘う。
●H 辺野古をめぐる事態は激しく進展しているが、実は何も変わっていない。晋くん解雇問題に対する結論が出ていないというのは最大の矛盾です。そこを前面に出して闘い続けることが求められている。今、僕らの組合で一緒にやろうかという若い人たちが出てきている。闘い続けてきたことが実ってきたと思う。
●C 辺野古の闘いについては、沖縄闘争の脱皮、沖縄闘争の本当の階級的なあり方を一貫してとってきた闘いであると思うし、晋くんの解雇攻撃もその一つの頂点にあると思っています。
辺野古闘争の中で沖縄の労働運動のあり方が大きく変化してきた。辺野古新基地建設阻止闘争の核心は、労働者階級の階級的決起の一点に尽きる。一番壁になっているのは、その闘いを体制内的に、ある意味でわれわれも反省的に考えればその一翼に組み込まれてきたという要素が多分にあるんですが、そこを打ち破ってきているのが辺野古の闘いの一つの核心だと思います。もう一つは、農地死守、空港粉砕という実力闘争で闘っている三里塚との連帯です。
●I 今はまたTPP(環太平洋経済連携協定)問題とか、農民、漁民が殺されようとする時にともに立ち上がって、頑張っていく決意です。三里塚と連帯し、沖縄で基地撤去を闘う中において、福島とも連帯して闘います。
●D 去年1年、星野さんの闘いがものすごく前進しています。2月5日には全国労組交流センターと星野文昭さんをとり戻そう全国再審連絡会議の共催でデモが闘われる。毎年の5月沖縄闘争のような形の闘いが初めて星野闘争として闘われる。労働組合が軸になる画期的な闘いです。
先日、19歳の青年が米兵にひき殺された事件の抗議集会で星野署名を集めたんですが、すごい手応えを実感しました。復帰40年という中で辺野古に対する国の強硬なやり方に象徴されるように、沖縄闘争の原点がみんなの中に呼び覚まされています。
●K(NTT労組)
今年は復帰40年、決戦中の決戦に入っています。3・11NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)沖縄の結成とともに、3・11福島現地闘争への派遣を闘い、5・15闘争を闘う。革命の展望が開ける年になると思います。
何よりも職場闘争と新たな労組結成、これがNTTの非正規雇用労組の問題をのりこえていく道だと思う。元組合員たちとメールをしながら、労働者をなめきったNTT労組幹部、会社に大きく反撃を開始する。展望開ける沖縄県委員会として、ともに頑張りましょう!
沖縄県委員会、結構大した人数ですよ。これを2倍、3倍する闘いが激動期には起こる。職場生産点で頑張っていきたい。
沖縄は世界のへそ
●P(全学連)
僕は、2012年まず、日米安保粉砕論を甦らせなければいけないと思っています。北朝鮮の金正日が死に、イラク戦争に徹底的に敗北させられた米帝が、東アジアに手をかけてきた。エジプト革命から始まった2011年の革命の嵐が最後、朝鮮半島に及んだ。だからこそ朝鮮半島の南北分断体制をのりこえる闘いが始まる。
一方では日米安保がアメリカと日本の対立をはらみながら結局、戦争に向かっていく。沖縄の安保粉砕の闘いが、戦争ではなく、東アジアから世界革命へと進む砦(とりで)になろうとしている。
もう一つ、2012年が安保・沖縄決戦だというのは、2011年に反原発闘争が歴史的に爆発したということだ。日米安保粉砕そのものが原発と核、基地、この総体を覆していく闘いになる。反原発闘争と、辺野古新基地建設阻止を軸にした沖縄の闘いを結合させていこうと思っています。
●H 何が資本と労働組合の違いかって、やつらは、資本も連合もとことん無責任なんですよ。労働組合ってのは必ず責任をとっていく。血を吐いてでも、涙を流してもやりきろうとするのが、僕ら中核派じゃないですか。その人間的な姿こそ、次の社会をつくる闘いなんだ。課題は山積みですが、そこを一つひとつやりながら、今年、どんどん合同労組の拠点をつくっていきましょう。
●O 戦後革命期には1日に何百もの労働組合がつくられていった歴史があります。革命情勢とは労働者階級が立ち上がる時期であり、ちょっとしたきっかけで労働者が団結を求めて労働組合結成に向かって立ち上がる。
われわれが生き生きと労働者と結びつく。しかし、その結びつくということが難しい。僕も実際には悪戦苦闘の連続ですが、そこしかない。そこで情勢を切り開いていく。
●A 沖縄は世界のへそ、世界の交易の交わるところです。沖縄はインターナショナルなんですよ。今年は沖縄の復帰40年ですが、当時のスローガンは"核も基地もない平和な沖縄を実現しよう"ということだった。2012年、革命をやろう! 頑張りましょう!
沖縄労働者の現状
日本の面積の約0・6%、人口は約1%の140万人の沖縄県には、在日米軍基地の74%が集中している。
昨年12月の完全失業率は7・1%(全国平均4・6%)、若年者(15〜19歳)では12・7%(全国6・7%)と全国平均のほぼ2倍。普天間基地の移設先とされている名護市の完全失業率は12%を超えている。
最低賃金は645円と「復帰」以来ずっと全国最低であり、しかも最低賃金以下で雇用される労働者が5%近くいる。非正規雇用の労働者の比率は全国一の43・4%。
他方で労働組合の組織率は72年「復帰」時に35・0%だったのが昨年は11・3%まで低落し全国最低となっている。
かつて沖縄の労働者3人に1人(約5万人余り)を占めた基地労働者は現在約9千人で、約7割が全駐労に組織されている。自治労組合員は約1万4千人だが、自治体職場では3割ほどが非正規雇用の労働者だ。
「復帰」運動の主力部隊だった沖教組・高教組はいずれも3千人前後で組織率は約半分程度。これら教職員会(沖教組・高教組)、全軍労・官公労(自治労)、全逓(全逓・全電通)などの労働者が「復帰」闘争の主力部隊であり、「復帰」以降の反戦反基地闘争も担ってきた。
辺野古新基地建設阻止闘争を支えてきたのもこれらの労働者だ。07年9・29県民大会の12万人決起は、自治労と教労が自らの職場である「役場と学校」を拠点として歴史的な決起を実現した。
一方、この十数年で急増したのがコールセンターで働く労働者。その数は2万人を超えると言われ、約8割は非正規雇用の労働者だ。一方的な雇い止めや賃下げが横行していて、毎月のように求人広告を出している企業が多数存在する。働き続けられずに辞めていく労働者がそれだけ多いということ。また1月9日の沖縄タイムスには福島原発の臨時作業員の求人広告。「短期高収入」をエサに被曝労働を強制しようというのだ。
70年当時、基地労働者1万人(本土労働者100万人に匹敵)規模の解雇攻撃に、全軍労は2波の大ストで闘った。
「復帰」40年を迎えた沖縄で階級的な労働運動・労働組合を甦らせる歴史的な挑戦が始まったことがこの座談会からも伝わってくるだろう。