動労千葉中野洋顧問の通夜(7日)と告別式(8日)に、2000人以上の人びとが弔問に訪れ故人の旅立ちを見送った。反対同盟も多数が参列した。葬儀委員長を務めた
動労千葉の田中康宏委員長は、労働運動にすべてをささげた故人の人生を振り返り、労働者階級解放に向けて変わらぬ夢を追い続けた遺志を引き継ぎ闘う決意を表明した。
反対同盟の北原鉱治事務局長、韓国から駆けつけた民主労総ソウル地域本部指導委員のコジョンファンさんが弔辞を述べた。さらに韓国サイバー大学のキムスンホさん、ILWUローカル10のジャック・ヘイマンさんから弔電が寄せられた。
参列者は花を手向け、故人との最後の別れを惜しみ遺志を胸に刻んだ。
中野顧問の“見果てぬ夢”を引き継いで葬儀委員長あいさつ
動労千葉 田中康宏委員長
故人は、自分の近くに人を集めて話をするのが大好きな人でしたので、今日は本当に喜んでいることと思います。
実は4年少し前に胆管にガンが発見され、医者には手術もできないと言われました。「年内には起きられなくなるでしょう」というのが医者のご意見でした。それから4〜5年間、私はそばで見ていましたが本人は本当に頑張ったんです。
中野顧問にはやりたいこと、やらなければいけないことが頭の中にはまだまだ山ほど詰まっていて、見果てぬ夢がいっぱいあったと思います。1959年国鉄入社ですからちょうど半世紀、労働運動にすべての人生を捧(ささ)げた人でした。労働者が大好きで、泣き、笑い、怒り、こういう一人ひとりの労働者が本当に大好きで「労働者が団結した時には何でもできるんだよ」と言い続けてきました。労働組合というのは本当に素晴らしいものなんだ、だから自分は一生これに人生のすべてをかけるんだ。これが彼の生き方でした。
でも現実の労働組合はそうではないということに本当に烈火のごとく怒り、この現状を変えるために50年間、半世紀を費やしました。いわばその結晶が動労千葉です。
ですから動労千葉は、中野顧問のあの人情深さ、人なつっこさが乗り移って、本当に人間くさい家族以上の団結をした労働組合になりました。僕は中野顧問が残してくれた動労千葉が、本当に他の何にも代えがたい宝石だと思ってずっとやってまいりました。
本人は国鉄に就職してからちょうど半世紀、やれることをやり尽くしたと思っているんです。あと、彼の見果てぬ夢は、残された私たちが引き継ぐ決意でおります。
まだまだ私は、本当に中野顧問の足元にも及びません。でも、中野顧問がやってきたことを一つも割り引かず、それに付け加えることもなく、同じことをやり続けたい。私たちが願っていることは、社会のすべてを動かしている労働者が胸を張り、一歩でも前に進み、明るい顔をすることです。それだけを目ざして顧問の遺志を引き継ぎたいと思っています。
労働運動に本当にすべてを捧げた方ですから、ご家族には本当にご迷惑をかけながら組合員に尽くしてくれました。私からも御礼を申し上げたいと思います。
三里塚は“檄”に応える
弔辞 反対同盟事務局長 北原鉱治さん
中野洋さん、あなたの突然の訃報に大変驚いています。「早すぎる! もっともっと長く生きてほしかった」というのが率直な気持ちです。本当に惜しい人物を亡くした残念な思いでいっぱいです。
思えば、あなたとの出会いは三里塚闘争が始まった翌年の一九六七年でした。それ以来、動労千葉と空港反対同盟は「車の両輪」として固い絆のもとで今日まで闘い続けてきました。とりわけ、ジェット燃料貨車輸送阻止闘争のときには、当時の委員長であった関川さんと書記長であった中野さんと三人で深夜二時ごろまで闘争をめぐって真剣に語り合ったことを鮮明におぼえています。「労働者には労働者としての闘いがある。労働者が職場を追われることは、農民が農地を奪われることと同じ。労働者の闘いと農民の闘いは一体のものだ」と、お互いの共闘関係を深めました。そして動労千葉の労働者の皆さんは鉄路を武器に、ストライキでジェット燃料貨車輸送阻止闘争に決起し、5名もの解雇処分攻撃を受けながらも三里塚闘争を我がものとして闘い抜かれました。この歴史的闘いを契機にして反対同盟と動労千葉との絆は切っても切れないものとなりました。
しかしこの闘いに対して動労本部が「三里塚闘争との絶縁」を迫り、あらゆる妨害や破壊攻撃をかけてきましたが、これを断固はね返して動労千葉は本部からの分離・独立を勝ち取り、労農連帯を不動のものとして今日まで闘って来られました。労働者の皆さんは、「一人は万人のために、万人は一人のために」を実践して、仲間を絶対に見捨てない、裏切らない闘いを資本・国鉄当局と真っ向から対決して貫いて来られました。私たち反対同盟も国家権力と不屈・非妥協で「空港絶対反対・農地死守、実力闘争、一切の話し合い拒否」の闘いを44年にわたって貫き、今なお国策を阻み続けて、敵を追いつめています。
あなたが先頭に立って牽引してきた動労千葉の闘いは、いまや韓国、アメリカ、ブラジル、ドイツなど国際連帯の拡大を切り開くに至っています。世界の労働者人民と連帯して社会を変えようという、あなたが目指した闘いは大きく発展しつつあります。
看護にあたった動労千葉の同志から、意識が行きつ戻りつする中で、中野さんは北原の名を呼んでいたとお聞きしました。最期まで、三里塚の勝利のために心をくだいて下さったことに、身のふるえをおさえることができません。
洋さん、本当に長い間頑張ってこられました。あなたが切り開いた足跡は決して消えることはありません。三里塚はあなたの遺志にこたえ必ず勝利します。そしてそれは必ずや多くの若い青年労働者に引き継がれるでしょう。どうか、安らかに眠ってください。
国家越え“労働者はひとつ”を実践した
弔辞 韓国・民主労総ソウル地域本部指導委員 コジョンファンさん
中野同志!
あなたとは7年前に民主労総ソウル本部で初めてお会いしましたね。私たちは互いに言葉は通じなかったものの、労働者だというその一点で連帯を始めました。
誰も手を付けようとしなかった国家を越えて労働者は一つだということを実践しようとしたのはまさにあなたでした。あなたが踏み出されたその1歩を、韓国民主労総ソウル本部の労働者が2歩、3歩とさらに前に進めるために努力します。
あなたの献身的な労働運動と理念、実践と闘い。私たちはそのすべてを尊敬します。そして大切にします。
生涯を労働者のために生き、そして逝かれたあなたを私たちは絶対に忘れません。また忘れることもできません。
あなたが恋しくなった時、あなたの歩んでこられた道が無駄にならぬよう、韓日労働者の連帯をさらに打ち固めるよう努力します。
中野同志よ! 安らかにお眠り下さい。あなたの大志は常に私たちの胸の中にあります。ご心配なさらずに安らかにほほ笑んで下さい。この世で成し遂げられなかった労働解放。あの世の労働者解放の世の中で、あなたの大志をとどろかせて生きて下さるようお願いします。
海外からの弔電
深い哀悼と弔意を表明します
韓国・チョンテイルに続くサイバー大学代表 キムスンホさん
中野顧問の逝去に深い哀悼とともに弔意を表明します。国鉄1047名解雇撤回闘争、検修全面外注化阻止、強制配転反対など、貴労組の闘いによい結果がもたらされることを祈念します。
新自由主義との闘いの指導者だ
ILWU(国際港湾倉庫労働組合)ローカル10 ジャック・ヘイマンさん
過去何年かにわたり、動労千葉が呼びかける集会・デモや国際会議に参加してきたILWUの代表者たちになり替わり、ここに心からのお悔やみをお伝え致します。幸運なことに私は彼の生前に、彼ととても有意義な話し合いをもつ機会を得ました。彼の労働運動への貢献は、世界中の労働者の記憶にとどめられるでしょう。私たちが中野さんを追悼できる最善の道は彼の階級闘争路線を継承していくことです。